じじぃの「科学・芸術_738_スペイン・ガリシア移民」

Coming home to Galicia 動画 YouTube
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 中南米に移住したスペイン人

『スペインのガリシアを知るための50章』 坂東省次、桑原真夫、浅香武和/編著 赤石書店 2011年発行
世界のなかのガリシア人 強烈な郷土意識 より
ガリシア人の移民は19世紀末にはじまり、多数のガリシア人がビーゴ港やア・コルーニヤ港からアメリカ大陸に向けて出発した。キューバフィデル・カストロ国家評議会議長、アルゼンチンのラウル・アルフォンシン元大統領、コロンビアのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスもまたガリシア移民の子孫である。20世紀後半には西ヨーロッパの戦後経済復興にともなって、数多くのガリシア人がヨーロッパ各地、なかでもスイスとドイツに出稼ぎに行っている。現在、スペイン国籍を持つ30万人以上のガリシア人が、アルゼンチン、ウルグアイベネズエラなど世界の50ヵ国に住んでいる。彼らはかつての移民もしくはその子孫である。
ガリシア人移民の特徴を挙げるとすれば、特に2つの点が挙げられる。1つは、ガリシア人が他に類を見ないほど故郷に強い郷愁を抱いていることである。
祖国を後にして新しい土地に向かう移民を待ち受けているのは、実に過酷な人生であろう。移民は誰でも新しい土地にたどり着くと同郷の仲間を探して、集団の絆を強くしようとする。ガリシア人移民のコロニー建設の第一歩は、「ガリシアの家」の建設であった。やがてそこではガリシアの言語、文学、歴史の授業、連続講演会、劇の公演がはじまった。「ガリシアの家」はガリシア人移民の経済発展とともに大きくなっていった。最初は郊外の質素な建物であったが、時を経て都心の豪華な建物になった。最初は労働者や従業員の集まる場所であったが、やがて影響力のある起業家のロビーとなり、そこで開かれる豪華なパーティーにはその国の大統領や首相をはじめ上流階級の人々が招かれるようになった。
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フランコ将軍が政権を握るずっと以前、アメリカ大陸に渡り、そこでまったく自由に文化活動を行う優れたガリシア人もいた。19世紀末、キューバガリシア人の亡命先であった。1885年に最初のガリシア語の出版が行なわれたのも、また1886年ガリシア以外でガリシア語の戯曲がはじめて公演されたのも、ハバナ市であった。また、ハバナ市では、1907年12月20日にはじめてガリシアの国歌が披露された。ガリシアの旗も最初にキューバで製作され、のちにガリシアに運ばれたのである。マヌエル・クーロス・エンリケス、アントン・ビラル・ポンテ、ラモン・カバニージャスといったガリシア文化の著名人もキューバで暮らした。
以上のように、アメリカ大陸はガリシアにとってかけがえのない存在だったのである。
海外のコロニーの現状は今から50年前のそれとは明らかに異なっている。ガリシア移民の定年組は故郷ガリシアに帰還している。故郷ガリシアもまた大きく変わった。田舎の時代遅れのガリシアから進歩的でダイナミックなガリシアにシフトし、移民送り出しから移民受け入れのガリシアになった。ガリシアの経済発展によって、若い労働者が移民として海外に出かけていく必要もなくなったのである。