じじぃの「科学・芸術_737_スペイン・サンティアゴ巡礼」

The Way Of Saint James - The Camino Of Santiago Video Guide - Travel & Discovery 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=R0-latscwuM
Pilgrimage to Santiago de Compostela Part 1 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bPVVWlGjloo
Pilgrimage to Santiago


『スペインのガリシアを知るための50章』 坂東省次、桑原真夫、浅香武和/編著 赤石書店 2011年発行
サンティアゴ・デ・コンポステーラ市 21世紀に生きるヨーロッパ千年紀の聖都 より
旧市街のキンターナ広場にあるカフェの窓から、雨に濡れそぼった大聖堂と石畳が見える。中世時代より、何百万人、何千万人ちう巡礼者たちに踏まれてきたであろうこの石畳をながめていると、1000年以上にわたって栄えてきたこの小さな聖都の持つ歴史の重さを感じる。朝の早い時間はまだ観光客もまばらなので、この四角い広場も閑散としているが、正午近くもなると、「聖なる門」から大聖堂に入ろうとする人たちの長い列ができ、世界中からの観光客や、ヨーロッパの隅々から歩いてきた巡礼者たちでにぎわうことになる。
この原稿を書いている2010年は、「聖ヤコブの年」である。「サンティアゴ」というのは、スペイン語で「聖ヤコブ」のことを表しており、サンティアゴ大聖堂は、この聖人を祀っている。2010年は、この聖人の日である7月25日が日曜日に重なる年で、これは、6年、5年、6年、11年という周期で起こり、カトリック教会において、これらの年は「聖ヤコブの年」として定められている。この「聖ヤコブの年」には、普段は閉ざされているキンターナ広場側の「聖なる門」が開かれ、巡礼者はもとより観光客なども、この門から大聖堂に入るのが習わしになっている。この「聖年」にサンティアゴ・デ・コンポステーラに巡礼し、この門から大聖堂に入ってお参りした信者は、すべての罪が許される、というのがカトリックキリスト教の習慣で、今日まで続いている。
エルサレム、ローマに続き、サンティアゴ・デ・コンポステーラは、キリスト教の3大聖地の1つである。聖地としての起源は9世紀にさかのぼるが、さらにそのもとをたどると、紀元1世紀のキリスト教の発祥にまで行き着く。最近では、日本でも、「サンティアゴ巡礼」に関する本が何冊も出版されており、また、テレビでも、いろいろな角度から見た「サンティアゴ巡礼」に関する番組を放送しているので、「サンティアゴ」、または、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という名前を目にすることも多くなった。ガリシア州という名前はまだまだ日本では知られていないが、その州都であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの名前は、インターネットの日本語検索などでも、数多くの項目が出てくるようになった。
キリストの12人緒使徒のうち、この大ヤコブは、兄弟のヨハネとともに漁師をしていたところ、キリストに啓蒙され、布教活動を行なうようになった。大ヤコブイベリア半島で布教していたといわれるが、困難に満ちた布教活動を終え、エルサレムに帰ったところ、キリスト教の人気を妬んでいたユダヤ人の権力者ヘロデに捕らえられた。そして、斬首刑に処され、殉教したのだった。その遺体を、聖ヤコブの弟子2人が、石の船に乗せ海を果てしなくさまよった結果、イベリア半島の北西部にたどり着き、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの近くへ埋葬したというのが、紀元1世紀半ばのことである。
その後、この墓の存在は800年近くの間、忘れ去られることになるのだが、それが、再発見されたのが9世紀の初期ということである。この「奇跡的発見」に対して、敬虔なキリスト教信者であったアルフォンソ2世は、墓が発見された場所に礼拝堂を建てさせた。その後、何世紀もかけて増改築や修復が繰り返された結果、現在見られる形の大聖堂になった。なお、12世紀に活躍したロマネスク様式の巨匠マテオの作品である「栄光の門」は、2010年の現在修復中であり、そのすべての彫刻を見ることはできない。観光客が後を絶たないため、修復作業は遅れており、いつ終わるかはまだ定かではない。
ガリシア州政府は、世界各地で、「サンティアゴ巡礼」のプロモーションを行なっており、さらなる観光客誘致に務めている。また、日本においても、15年ほど前から「サンティアゴ巡礼」を含んだガリシア州全体の宣伝活動を行っているが、1998年には和歌山県との間に、熊野古道サンティアゴ巡礼の道の『姉妹道提携協定』」を結び、中世の時代から存在する東と西の巡礼道の価値を、様々な面から世界に発信していくことになった。ユネスコ世界遺産に指定されているこれら2つの巡礼道を、共同でプロモーションすることにより、単なる観光資源としてではなく、その価値を再認識することによって、宗教の枠を超えた人類遺産として、維持保存していくことの重要性を訴えている。