じじぃの「歴史・思想_88_世界史を変えた指導者・カール・マルクス」

Das Banner von Marx und Lenin - The Banner of Marx and Lenin

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Lenin, Engels, Marx

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

カール・マルクス より平等な世界をめざして不断の努力を重ねた社会改革者 より

歴史家で経済学者だったカール・マルクスは、共産主義の網領的文書と考えられている『共産党宣言』の共著者であり、また、現代経済学と資本主義制度について論述し多大な影響力をもった『資本論』の著者である。この2冊の著作で彼が打ち出した革新的な思想が20世紀の世界を方向づけた。

マルクスはよりよき社会をめざす戦いのリーダーだった。1871年5月30日、ドイツ生まれのジャーナリストで革命家でもあった彼は、制圧されたばかりのパリ・コミューンに捧げる感動的な哀悼文を発表した。「歴史のなかにあの偉業にならぶ例はほかにない。(中略)パリ・コミューンの殉教者たちは、労働階級のおおいなる心のなかに永遠に祀られるのだ」。パリ・コミューン普仏戦争中の1870年、ナポレオン3世の敗北を受け、フランス政府に対して起きた反乱だった。パリ・コミューンの革命家たち――コミュナール――は自治体を形成したが、5月下旬の「血の一週間」の先頭で政府軍によって制圧された。マルクスの友人であ共著者のフリードリヒ・エンゲルスは、コミューンは「プロレタリアート独裁」の史上初の例であると宣言した。
急進的な理論家だったマルクスエンゲルスは、1843年にパリで出会った。5年後、ふたりは後世に大きな影響をおよぼすことになる『共産党宣言』を共同執筆する。この宣言で彼らは、歴史は階級闘争の連続であり、現在の資本主義体制派プロレタリアート――賃金とひきかえに労働力を売る、産業社会の労働者たち――が支配する社会にとって代わられる運命にあると主張した。宣言は心を奮いたたせる言葉で蜂起をよびかけた。「プロレタリアは自分達をしばる鎖以外に失うものは何もない。彼らには勝ち取るべき世界がある。全世界の労働者よ、団結せよ」

人生を捧げつくす

第一インターナショナルが挫折に終わったのちもマルクスはロンドンにとどまり、『資本論』の執筆に邁進した。政治活動からは身を引いたが、社会主義者や労働運動のパイオニアたちが指導を仰ぐ中心人物でありつづけた。1879年には創立されたばかりのフランス社会主義労働者党のリーダー、ジュール・ゲードがロンドンを訪れてマルクスと会談し、党の網領について需要な助言を受けている。
晩年は健康状態が悪化し、それにともなって創作意欲もおとろえた。ロンドン時代には、第一インターナショナルで指導的役割を果たした前も後も、彼と家族は財政難にあえいだ。マルクスは着手していた著作に専念したが、それはお金にはならなかった。唯一の収入源は「ニューヨーク・トリビューン」のロンドン突破員としての稼ぎと、経済的に余裕のあったエンゲルスからの援助がほとんどだった。家族の食事はパンとジャガイモ程度しかないことが多く狭い住居に身をよせあって暮らし、つねに借金とりに追われた。マルクスの妻イェニーは一度ならず倒れ、こうした生活難もあって7人の子どもたちのうち成人できたのは3人だけだった。
1883年1月11日、成人した子どものひとり、イェニー・ロンゲに先立たれるとマルクスは悲しみにうちひしがれた。1881年12月2日の妻の死に追い打ちをかけた不孝だった。マルクスも1883年3月14日に世を去った。

情熱をそそぐエネルギー より

マルクスは変革――資本主義社会の打倒とプロレタリアートの解放――をもたらすための仕事に精力的に取り組んだ。ジャーナリストとして、戦いをよびかけるパンフレットの著者として、第一インターナショナルのような組織の委員会で、そして『資本論』で資本主義の仕組みを解明し解説しようとする情熱において、マルクスは経済的苦境のなかにあってとてつもないエネルギーと献身ぶりを見せた。このエネルギーこそ、絶望してもおかしくない時間をリーダーにのりこえさせるものであり、リーダーシップの大事な条件である。マルクスのように、思想家、コミュニケーターとしての才能を最大の強みとしながらも、無関心や反対にあって戦わねばならないリーダーにとっては、とくに必要な資質である。