じじぃの「科学・芸術_931_ウェールズ・忠犬の物語」

Faithful Hound (忠実な猟犬)

ウェールズを知るための60章 吉賀憲夫(編著) 発行:明石書店

英国を構成する4つの「国」の1つウェールズ。最も早くイングランドに併合されたが独自性を保ち続け、英語と全く異なるウェールズ語を話せる若者も少なくない。アーサー王伝説のルーツを持ち、海苔を食すなど日本との意外な共通点もあるウェールズを生き生きと紹介する。
Ⅰ ウェールズの風景
第4章 忠犬・殉教者・魔術師の町――ベスゲレット、ホリウェル、カーマーゼン
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784750348650

ウェールズを知るための60章』

吉賀憲夫/編著 赤石書店 2019年発行

忠犬・殉教者・魔術師の町――ベスゲレット、ホリウェル、カーマーゼン より

ウェールズには伝承を基にして有名になった町や村が数多くある。中でも伝承と地名が結びついているベスゲレット、ホリウェル、カーマーゼンを見ていく。
最初に取り上げるベスゲレットは、北部グウィネズ地方にある谷あいの小さな村である。「ベズ」はウェールズ語で墓を意味するので、ゲレットの墓という意味を持つ地名である。ベスゲレットは猟犬の名前で次のような伝説がある。
13世紀、サウェリン大王と王妃はある日、幼い息子を愛犬ゲレットに守らせて狩りに出かけた。狩りから帰ると、ゲレットは鼻面を血で真っ赤に染め、息子の姿が見えない。王はゲレットが息子を食い殺したのだと考え、剣を抜き犬に斬りつけた。犬は一声鳴いて倒れて死んだ。その声に応えるかのように部屋の暗い隅から赤ん坊の泣き声が聞こえた。息子は無事だった。だが、その傍らには大きな狼の死体があった。ゲレットが王の息子を救うために狼を殺したのだ。王は愛犬を誤って殺したことを後悔し、ゲレットに立派な墓を作り手厚く埋葬した。その後サウェリンに笑顔が戻ることはなかったという。
この愛犬の物語は犬好きのイギリス人をたいそう感動させ、詩人や画家がこぞって伝説を基に作品を作った。例えば1800年にこの地を訪れたW・R・スペンサー師は「サウェリンとその犬」という詩を作っている。忠犬の墓は多くの観光客を惹きつけ、村はにぎわっている。
忠犬を誤って殺してしまう物語はインドをはじめ世界中にあり、珍しい話ではない。18世紀末にこの話を村の名前と結びつけて伝説を創作したのは、ロイヤルゴールドホテル初代経営者デイビィッド・プリチャードである。南ウェールズ出身のプリチャードは、近くの修道院と関係のあるサウェリン王の名を持ち出し、ゲレットという猟犬を創作し、実際に墓まで作った。そして観光の目玉にすることに成功したのである。その成功ぶりは、1824年に詩人ウィリアム・ワーズワスが「ほぼ30年前、スノードン山頂に深夜登に際し、私が軽食を取ったみすぼらしいパブは、瀟洒なホテルになっていた」と記していることからもうかがえる。
次に取り上げるホリウェルは、北ウェールズのフリントシャーで5番目に大きな市場町だが、その名の通り、そこには「聖なる泉」がある。その名の由来となった聖女ウィニフレッドの泉ある。これはウェールズで最も有名な泉で、中世から現在まで、巡礼者や病に苦しむ人たちが、冷たく澄んだ水に祝福や病の治癒を求めてこの泉を訪れてきた。「ウェールズの7不思議」のひとつに数えられ、奇跡的な癒しの力がある。特に神経痛によく効くという。
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ウェールズのカーマーゼンはローマ時代、マリドゥヌム(海辺の砦)と呼ばれた。やがてウェールズ人はその土地を「マルジンの砦」という意味の「カエルヴァルジン」と呼ぶようになった。「カエル」は「砦」であり、「ヴァルジン」は音韻変化した。「マルジン」のことである。マルジンは中世ウェールズの伝承に登場し、アーサー王伝説のマーリンのモデルと言われる人物である。