じじぃの「科学・芸術_928_遺伝子DNAのすべて・レトロウイルス」

Retrovirus Replication 3D Animation

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HhhRQ4t95OI

肝炎治療にインターフェロン治療

肝炎に効果的なインターフェロン治療や核酸アナログ製剤治療 利用しやすくするための医療費助成制度をご存じですか

さまざまな治療方法の中で、ウイルス性肝炎を根治することができるものとして期待されているのが「インターフェロン治療」です。インターフェロンは、免疫系に働き掛け、肝炎ウイルスの増殖を抑え、肝炎ウイルスを破壊する効果があります。
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/200905/5.html

『ビジュアルで見る 遺伝子・DNAのすべて』

キャット・アーニー/著、長谷川知子、桐谷知未/訳 原書房 2018年発行

ヒトをつくったウイルス

ウイルスは、わたしたちに取りつく病原体というだけではない。ヒトゲノムの進化にもきわめて重要な役割を果たしてきた。

大規模DNAシークエンジング技術の開発以来、科学者たちは何千年(あるいは何百万年)も前にヒトゲノムに入り込んだ多数のウイルスを発見した。ヒトのDNAの最大80パーセントは、もともとなんらかの形でウイルスに由来するのかもしれないという推定もある。そういうウイルス配列のいくつかは、ずっと昔に死に絶えた遺伝子の化石であるだけでなく、ヒトにとってとても有益な働きをしている。場合によっては、人類の進化に関わるきわめて重要な役割を果たしてきた。
ゲノムに自らを埋め込んでも新しくウイルスをつくる能力を失い”死んでいる”レトロウイルスは、レトロエレメントと呼ばれる。ヒトゲノムの最大40パーセントは、レトロエレメントの反復からなる。これらの配列の一部は、おそらくいわゆるジャンクDNAだが、別の一部は役にたっている。1つの重要なグループは、ヒト内在性レトロウイルス(HERV)だ。これはヒトゲノムの約8パーセントを構成し、DNAのなかで、実際にタンパク質にコードされる遺伝子より数倍大きな場所を占めている。
ヒトゲノムには多くの異なる種類のHERVが散らばっているが、すべてはもともと進化の歴史における大昔のウイルス感染に由来している。多くはDNAメチル化などのエビジェネティック・マークに覆われていて、静止状態が保たれ、悪さはしないが、ときどきこの抑制状態から逃れ、活性化することがある。
HERVにはもう感染力はないが、今もRNAポリメラーゼによって転写されてRNAをつくることができ、そこからタンパク質に翻訳され、さらにDNAに変換されることもある。またHERVには、近くの遺伝子を活性化させる遺伝的なスイッチとして働く配列も含まれる。2016年、ユタ大学の科学者たちは、興味深い発見をした。6000万~4500万年前にヒトゲノムに由来するMER41というHERVの配列が、インターフェロン(生体がウイルスに感染したときに細胞が反応して作られるタンパク質。サイトカインの一種)と呼ばれる分子に応答する遺伝子のスイッチを入れる原因となっていることがわかった。インターフェロンは最初の危険信号となり、免疫細胞に向けて準備を整えウイルス感染と闘うように命じる。HERVのRNAからつくられたDNAは、ウイルスに対する免疫反応の促進に関わっているという証拠もある。これら古代のウイルス配列は、まさに遺伝子の二重スパイになり、侵入しようとする他のウイルスを細胞が撃退するのを助けている。
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遠い昔に感染したウイルスが、ヒトゲノムの進化に不可欠な役割を果たし、今も遺伝子の多くの面を制御していることは明らかだ。もしかすると現生人類に感染しているウイルスが、将来ヒトゲノムの重要な一部になるかもしれない。もちろん、確かなことは言えない。野生のウイルスをDNAの領域内に取り込んで役立てるには、何百万年もかかるからだ。

バーバラ・マクリントックとジャンピング遺伝子 より

アメリカの遺伝学者バーバラ・マクリントックは、1940年代から1950年代にかけてトウモロコシを使った詳細な実験によって、いわゆるジャンピング遺伝子(トランスポゾン)を初めて発見した人物だ。
マクリントックは、ある種の遺伝要素がトウモロコシのゲノムのなかを飛び回って、トウモロコシの殻粒にまれな色のパターンを生じることに気づいた。最初の画期的な発見をしたとき、その結果を信じる研究者はほとんどいなかった。ゲノムは固定されていて動かないと考えていたからだ。マクリントックは懸命に、研究結果を発表して自説に対する評価を得ようとしたが、ジャンピング遺伝子の役割を含めた遺伝子の機能を理解するうえでその研究がどれほど重要かが認められたのは、ずっとあとのことだった。1983年にようやく、ふさわしい賛辞として、マクリントックは81歳でノーベル生理学・医学賞を授与された。