じじぃの「科学・芸術_912_ミシェル・オバマ『マイ・ストーリー』」

Michelle Obama discusses her new book "Becoming" - Part I

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8POAamGvUw4

ミシェル・オバマ『マイ・ストーリー』 集英社

聡明で、強く、ファッションセンスもある。
そんな新しいファーストレディ像を彼女に抱いていた人が、本書を読んだら驚くだろう。この物語は、
幼少期からバラク・オバマとの出会いまでが描かれる第1部(BECOMING ME)
結婚から出馬するまでが描かれる第2部(BECOMING US)
ファーストレディとなり、新しい世界に踏み出していく第3部(BECOMING MORE)
から成ります。
https://shueisha-mo.com

『マイ・ストーリー』

ミシェル・オバマ/著、長尾莉紗、柴田さとみ/訳 集英社 2019年発行

BECOMING ME より

その日、私は事務所のビルの1階に入ったおしゃれなレストランにバラクをランチに連れていった。レストランには身なりの整った銀行員や弁護士がたくさんいて、ディナー級の価格のランチを食べながら会議をしていた。事務所の経費で高級ランチを食べに行ける。これはインターンの教育係を担当する特権だった。バラクのアドバイザーとして私に何よりも求められるのは、彼と事務所のパイプ役になることだ。彼に楽しく仕事をしてもらうこと、助言が欲しいときに頼れる存在であること、チームとつながっているという感覚を与える事が私の役目だった。それはまた、事務所が本格的に彼を口説くためのスタート地点だ。他のインターンに対してと同じく、彼が卒業したらすぐにフルタイムで働くようオファーをかけるかもしれないからだ。
だが、バラクには助言がほとんど必要なさそうだとすぐにわかった。彼は私より3つ年上で、もうすぐ28歳になるところだった。私と違い、ニューヨークのコロンビア大を卒業後、数年間仕事をしてからロースクールに入った。印象的だったのは、彼が自分の生き方に自信を持っているように見えたことだ。不思議なくらい不安を抱いていないようだったが、初めはそのわけがなかなかわからなかった。プリンストンからハーバード、そして47階のオフィスへと成功に向かってまっすぐ行進しつづけた私の道のりと比べて、バラクの道は気まぐれにジグザグとうなりながらまったく別の世界を通っていた。その日のランチを通して、彼はあらゆる面でハイブリッド方の人間なのだとわかった。ケニア人の黒人の父親とカンザス州出身の白人の母親は若くして結婚し、まもなく離婚した。バラクはホノルルで生まれ育ったが、子ども時代のうち4年間はインドネシアで凧(たこ)を飛ばしたりコオロギを捕まえたりしていた。高校を卒業するとロサンゼルスのオクシデンタル大学でのんびりとした2年間を過ごしてから、コロンビア大学編入した。本人によると、そこでは1980年代のマンハッタンに解き放たれた大学生らしい生活はまったく送らず、山ごもりをする16世紀の世捨て人のごとく、109丁目に立つほこりっぽいアパートで高尚な文学作品や哲学書を読んだり下手な詩を書いたり、日曜日には断食をしたりしたという。
私たちはそれぞれのバックグラウンドについてや、どうして法律の道に進んだのかなどを笑いながら話した。バラクはまじめだが、まじめくさった人ではなかった。陽気なふるまいをしながら、頭の中ではいろいろなことを考えていた。興味をかき立てられる不思議な二面性を持っていた。さらに驚かされたのは、彼がシカゴにとても詳しいことだった。
     ・
高校生や大学生のバスケの試合を数多く観て来た私はプレーヤーがうまいかどうかを見分けられる。バラクはすぐにそのテストに合格した。スポーツマンらしい芸術的なフォームでプレーし、素早く動く細身の体からはそれまで気づかなかったパワーを感じた。ハワイ出身らしくサンダルを履いていても、その動きは俊敏かつ優雅だった。私はコートのそばに立ち、誰かの感じのいい奥さんの横で何かを話すのを聞き流しながら、視線はバラクに釘付けだった。そのとき初めて、不思議なまでにすべてを備えたその姿に強く心を打たれていた。
夕方、車に彼を乗せて帰るときには、新たな渇望の種が心に植えつけられたかのように、それまでに経験したことのない痛みを感じた。季節は7月。8月になればバラクは事務所からいなくなり、ロースクールに戻ってそこでの生活をまた始める。車の中で私たちはいつもどおり冗談を言い合い、パーティーで誰がどんなことを話していたかなどを報告した。一見すればそれまでも何ら変わらないやりとりだが、私は熱が背筋を上ってくるのを感じていた。狭い車内で近くにいる彼の体が気になって仕方なかった。彼は座席の間の肘掛けに肘をのせ、彼の膝は私が手を伸ばせば届く位置にある。
     ・
彼のアパートの前に車を停めた私の顔は、まだ加熱状態でぼんやりとしていた。私たちはぎこちない空気のまま身動きせず、互いに相手に別れを告げるのを待った。そのとき、バラクこっちに顔を向けた。
「ちょっとアイスでも食べる?」
来た、と思った私は、珍しくあれこれ考えるのをやめた。大好きな街の、暖かい夏の夕暮れだった。風が優しく肌をなでていた。バラクのアパートの近くに<バスキン・ロビンス>があった。そこでコーンのアイスを2つテイクアウトし、道路脇に座れそうな場所を見つけた。膝を並べてそこに座り、そとで1日を過ごした心地よい疲れの中、アイスクリームが溶ける速さに負けないようにひたすら無言で食べた。たぶん、バラクには表情を読まれていたが、態度から感づかれていたのだろう。もはや私のすべてが緩んでほどけだしていることを。
ラクはかすかな笑みを浮かべながら、じっと私を見た。
「キスしてもいい?」
そう言った彼に私は身を寄せた。すべてがはっきりとした。