Israel-Gaza Conflict 2014: Mideast Rockets and Airstrikes Continue | The New York Times
イスラエルによって破壊されたガザ
Palestinians step up rocket attacks as Israel strikes Gaza
May 5, 2019 USA TODAY
Palestinians stand in front of a destroyed multi-story building was hit by Israeli airstrikes late Saturday in Gaza City, Sunday, May 5, 2019.
https://www.usatoday.com/story/news/world/2019/05/05/palestinians-step-up-rocket-attacks-israel-strikes-gaza/1110702001/
難民女性ガーダ 占領と強権の圧力に抗する より
2014年7月、イスラエルはガザに侵攻した。空爆から始まり、7月半ばからは地上侵攻を始めた。そのときの気持ちをカナダ在住のパレスチナ難民女性ガーダは語った。
「すべてのガザの人々は攻撃で危険にさらされている。次の朝には恐ろしいニュースを聞くことになるかもしれない。家族の一人を、近所の人を、友人を失うかもしれない。パレスチナの人を失うことは辛いことにはかわりないけど、自分に直接つながりのある人を亡くすほど辛いことはない」
ガーダは現在自分の家族とともに3年前からカナダにいる。イギリス留学後、封鎖によりガザに帰る道を断たれたガーダは、後に妹のいるカナダに移り住んだ。ガーダの生まれた故郷ガザには彼女の家族が暮らしている。今、そこがまさに攻撃されていた。
「家を出るときには、皆反対したの。こんなときに子どもたちを連れてガザに入るなんて危険すぎる。どうかしていると。行ったところでガザに入れるかどうかもわからない」
ガーダは悩み抜いた。
「やはり母や兄弟に会いたい。もしこれが最初で最後のチャンスだとしたら? どうしたらいいのか感情が入り混じって、難しい決断だった。子どもたちを連れていくのかどうか」
私がガーダに出会ったのは1993年、彼女が数日後に婚約を控え、その撮影に来てと招待された時だった。彼女は私の通訳として働き始めていた。婚約式は滞りなく終わり、その日からガーダの家族との付き合いが始まった。
私と出会う前、ガーダは大学を断念していた。当時イスラエルの占領に反対する第一次インティファーダ(蜂起)が燃え盛っていた。ガザにある大学はすべてイスラエル軍によって閉鎖されていたのだ。
1993年、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)が和平を結んだ年、ガーダはナセルと出会った。最初は乗り気ではなかったが、ナセルの熱意と人柄にガーダはだんだん惹かれていった。
ガーダとナセルが初めての子ガイダを産んだとき、暫定自治区で総選挙があり、アラファトが初代自治政府議長になった。これでガーダはすべてはうまくいくと思っていた。
しかし2000年、第二次インティファーダが起こり、ガザは再びイスラエルに軍事攻撃されるようになる。ガーダはこの第二次インティファーダの中で、従兄弟や親戚の子どもを亡くし、深い悲しみに落ちた。
第二次インティファーダが下火になった頃、成績が優秀だったガーダは夫と子どもを残し、イギリスに留学する。夫はガーダを支え、後に家族4人で暮らすようになる。
2006年、ガザ地区はパレスチナ評議会選挙で勝利したイスラム組織ハマースが政権を握る。イスラエルはハマースを政治のパートナーとしては認めず、敵対勢力として、ハマースを選挙で選んだガザの人々に対して集団懲罰としてガザ地域全域に封鎖を敷く。一部の許可を持つ人たちを除き、一般のガザの人々はガザから入ることも出ることも許されず、燃料や生活物資、医療品や子どものミルク製品にいたるまで、ガザに入れるのを制限された。
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ガーダたちが訪ねたのは今回の被害の大きかったガザ南東部のフザア村だった。壊された家の中にあった玩具の人形を見つけたときに、長男のターリクは「何で子どもが、何で狙われるんだ」と怒りと驚きの入り混じった表情を見せた。
その後訪ねたのはガザ北東部のシジャイヤだった。まるで一帯が瓦礫の町になっていた。大きな建物にはたくさんの人たちが住んでいただろうと思える。歩いているとお店も家も壊されたという親子に出会った。店主はイスラエル軍の攻撃が激しく、店のスナック菓子を食べながら凌ぎ、おさまってから塀を飛び越えながら逃げたという。
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50日間のイスラエルによる侵攻は、8月26日、イスラエルとハマースの長期停戦が結ばれ、終わりを告げた。
そしてガーダたちがカナダに帰る日が近づいたある日、ガーダはガザに帰ってきた心境を語った。
「たとえ肉体は外にあっても、私の魂はここにいる。祖父母の時代、66年前まで彼らが過ごした幸せな懐かしい家のこと。思い出話を何度も話して聞かせてくれた。その気持ちが今はもっとよくわかる。懐かしい故郷を想う気持ちはむしろ強まりつつある。カナダは美しい国。イギリスも素晴らしい。だけど、そこは私の故郷ではない。故郷はここにしかない」。