じじぃの「科学・芸術_908_パレスチナ・離散パレスチナ人」

減り続けるパレスチナの地

パレスチナを知るための60章』

臼杵陽、鈴木啓之/編著 赤石書店 2016年発行

はじめに より

パレスチナという名の国家は、まだ存在していない。2015年末時点では136ヵ国がパレスチナを国家として承認している。国連加盟国の約70%である。21世紀に入ってパレスチナを国家として承認する国は少しずつ増えている。だが、アメリカ、イギリス、フランスといった国連常任理事国を構成する主要欧米諸国はいまだにそれを認めていない。もちろん、西欧でも一部の国の議会は当該政府がパレスチナを国家として承認するよう決議しているものの、まだまだ時間がかかりそうである。
1948年5月、パレスチナという地名は地図上から消えた。パレスチナ人たちは祖国喪失の体験を「ナクバ」と呼ぶ。カタストロフィ、大災難、大厄災など、さまざまな訳語が当てられる。ホロコーストに比べ、日本では辞書に載るほど一般的ではないが、英語圏の大辞典ではa1-Nakbaとして掲載されており、OED(オックスフォード英語辞典)では「新イスラエル国家の誕生によって多くのパレスチナ人が故郷を追われた1948年の出来事をさすパレスチナ人の用語」と定義されている。
かつてパレスチナの地に住んでいたアラブ人は48年に離散して難民となって以来「パレスチナ」の名前を継承することになぅた。新たな「パレスチナ人」の誕生である。もちろん、イスラエル国の領域となった土地にもパレスチナ人がイスラエル市民として暮らしている。だとしても、そのようなパレスチナ塵は、もう存在しないパレスチナに「居住している不在者(present absentee)」なのである。冒頭で引用したサイードは「パレスチナは、もはや存在しない」と明言した。1994年にガザとヨルダン川西岸地区の一部に「パレスチナ自治区」が成立したので、パレスチナはもはや地図上に存在しない<場>ではない。しかし、いまもって国家ではない「パレスチナ」というタイトルを冠した本を「エリア・スタディーズ」の1冊として出版するということは実に画期的なことである。
もちろん、自らをパレスチナ人として意識する民族集団は存在する。ただ、パレスチナ人であることの自己主張は国際社会の中で承認されて初めて意味をもつ。クルド人をはじめ、国家をもたない民族は世界に数多く存在する。「未承認国家」と呼ばれる、ソ連など旧「帝国」の崩壊の跡に国家なきままに取り残された民族集団も少なからず存在する。パレスチナ国家も「未承認国家」の1つである。
パレスチナという<場>は、第一次世界大戦で敗北を喫して崩壊したオスマン帝国の遺産を継承している。オスマン帝国の下ではパレスチナを取り巻く明確な国教は存在しなかった。パレスチナはかつて「ビラード・アッ・シャーム(シリアの地)」の南部を漠然とさす地名にすぎなかった。それが第一次世界大戦後、英仏のサイクス=ピコ密約によって切り取られて成立したのが委任統治パレスチナであった。1917年にイギリスによってバルフォア宣言が発せられ、パレスチナユダヤ人のための「ナショナル・ホーム(民俗的郷土)」の場となった。パレスチナに住む9割を超えるアラブ人はこの宣言の中では「非ユダヤ人コミュニティ」とくくられ、当時ウィルソン米大統領によって提唱された民族自決権がパレスチナ人に適用されることはなかった。さらに、1948年にはイスラエルが建国されることでパレスチナに住む人々の多くは難民となった。以来、「パレスチナ人」であることを、国際的に承認されるための長い苦難の歴史が始まることになる。
現在、パレスチナ人の総人口は約1200万といわれている。パレスチナ人は居住地域によって次のような4つに分類できるだろう。すなわち、①イスラエル国の領域内に住むイスラエル国籍をもつパレスチナ人(約147万人)、②ヨルダン川西岸(約290万人)・ガザ(約185万人)のパレスチナ自治区に住むパレスチナ人(合計約475万人)、③ヨルダン(約324万人)、シリア(約63万人)、レバノン(約40万人)、エジプト(27万人)、……。④チリ(約50万人)ホンジュラス(約25万人)、……。パレスチナ人の総人口数の半数を占める離散パレスチナ人の多様なあり方を念頭に置かなければ、自治区を含めた現在のパレスチナについては語ることはできない。パレスチナ人の半数が離散ユダヤ人あるいは離散アルメニア人と同じように祖国から切り離されてディアスポラ状態の生活をしているのである。