じじぃの「科学・芸術_899_カール・セーガン・暗き谷間」

The Death of Carl Sagan

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pr5bZFj6Pd8

カール・セーガン

ウィキペディアWikipedia) より
カール・エドワード・セーガン(Carl Edward Sagan, 1934年11月9日 - 1996年12月20日)は、アメリカの天文学者、作家、SF作家。元コーネル大学教授、同大学惑星研究所所長。
NASAにおける惑星探査の指導者。惑星協会の設立に尽力。核戦争というものは地球規模の氷河期を引き起こすと指摘する「核の冬」や、地球工学を用いて人間が居住可能になるよう他惑星の環境を変化させる「テラ・フォーミング」、ビッグバンから始まった宇宙の歴史を“1年という尺度”に置き換えた「宇宙カレンダー」などの持論で知られる。
陸地点は彼にちなんで「カール・セーガン基地」と名付けられた。
1994年暮れ、何週にも渡り夫カールの腕に残っていた青痣を訝った妻アニーが病院での診療を勧め、渋々ながら検査を受け、骨髄異形成症候群の診断結果が出た。フレッド・ハッチンソン・がんセンターにて治療、移植検査で実妹のキャリーの骨髄が適合し、シアトルにて治療にあたる。
回復後はニューヨークへと引っ越し、いくつかの研究、TVや映画の企画、自著の校正などをこなし日常生活に戻る。後、再検査にて病気が再発する兆候が見られ病床の人となり化学療法、X線治療と骨髄移植で治療を行うも病状が悪化。闘病中にはセント・ジョン大聖堂、ガンジス川の川辺にてヒンドゥー教徒が、北アメリカのイスラム指導者が回復祈願の祈りを願った。病人である当人は懐疑主義者で宗教にも輪廻転生にも懐疑的であったが、このような多くの善意ある振る舞いに勇気づけられたと感謝の言葉を贈っている。

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『百億の星と千億の生命』

カール・セーガン/著、滋賀陽子、松田良一/訳 新潮社 2004年発行

暗き谷間にて より

六たび私は死に直面した。そして六度とも死は私から目をそらし、見逃してくれた。もちろんいつかは、死は私を連れ去るだろう。誰も死を免れないのだから。ただ、いつ、どんな状況で死ぬかということだけが問題なのだ。
私は死と向かい合ってたくさんのことを学んだ。特に人生の美しさや新鮮な感動、友人や家族のかけがえのなさ、愛の持つ信じられない力のことを。事実、死に瀕することは、人格形成に役立つとても有意義な経験なので、誰にでもお勧めしたいくらいだ。もちろん後戻りできない深刻な危険は伴わないという条件で。
できることなら私が死んでも、私の思考や感情や記憶をなにがしか引き継いでもう一度生まれ変われれば良いのにと思う。けれども、私がどんなにそう信じたくても、また来世があるという慣習的な考えが昔から世界中に広まっていても、これがそうあって欲しいという願いから出た思想であるという以上のことを示すものは何もない。
私は最愛の妻のアニーとともに天寿を全うしたい。幼い子供達が成長するのを見たいし、彼らの人格形成や知性の発達に関わりを持ちたい。将来生まれるであろう孫達にも会いたい。いろいろな科学的な問いにどんな結果が出るのかもぜひ見てみたい。たとえば我が太陽系内のいろいろな世界の探検や、地球外生命の探索など。人間の歴史の大きな流れが、良くも悪くも、どのように展開していくかを知りたい。たとえば科学技術の危険性と有望性、女性の解放、中国の政治・経済・技術のめざましい発展、恒星間飛行などだ。
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5000人の人達がニューヨーク市の世界最大の教会、セント・ジョン大聖堂でイースターの礼拝時に私のために祈ってくれた。ヒンドゥー教のお坊さんは、ガンジス川の岸辺で私のために行われた夜を徹した盛大な祈りのことを書き送ってくれた。北アメリカのイスラム教指導者は、私の回復のために祈ったと知らせてくれた。多くのキリスト教信者やユダヤ教信者も、彼らが祈ったことを知らせる手紙をくれた。たとえ神が存在するとしても、神の決めた私の運命が祈りのよって変わるとは思わないけれど、病気の間私を応援してくれた人達に――会ったこともない本当に多くの人達も含めて――言葉には尽くせないほど感謝している。
多くの人達から、「死後の世界を確信しないでどうして死と向き合うことができるのですか」と尋ねられたが、「別に問題ではなかった」としか答えようがない。「弱い心」については保留するが、私は尊敬するアルバート・アインシュタインと同じ考えを持っている。
  <私は、自分の創り出したものを褒めたり罰したりする神や、我々自身と同じような意志を持つ神を想像することはできない。人間が肉体的な死後も生き残るということも信じられないし、また信じようとも思わない。弱い心の人達は、恐れや不条理なわがままからくる、そういう思想を抱いているがよい。私は、生命が絶えることなく伝わって行く神秘にふれたり、この世界の驚くべき構造を垣間見たり、自然の中に現れる真理の一端を、それがどんなに小さくとも、理解しようと一心に努力することだけで満足だ>