Monaco grand prix 2019 F1 モナコ・グランプリ GP
F1 Monaco Grand Prix
現代まで生き残った封建領土・モナコ公国 より
幅数百メートル、長さ3キロ、面積2平方キロの極小の公国・モナコ。この奇妙な国家はどう運営されており、その存立基盤は何なのか。
海に突き出した岩塊の上に建つ大公宮殿まで上がってみると、クリーム色のシンプルな外見の建物だった。衛兵の詰め所はあるが中に人影はない。現モナコ公(母は女優のグレース・ケリー)は、ここには住んでいないのかもしれない。
王宮前の広場からは、お金持ちの所有するクルーズ船が群れをなすモナコ港越しに、急斜面に家々が張りつくように建つ壮大な景色が一望だ。港に設けられた観客席はF1モナコグランプリで、レーシングカーが駆け抜ける場所だろう。反対に王宮裏手の崖からは、真っ青な海と、マリーナ付き高級アパート街が見下ろせる。どの方向を見てもピクチャレスク、最近の表現ならインスタ映えする景色である。
モナコ公は、13世紀末(日本の鎌倉時代)に、この岩塊の上にあった要塞を占領した。ジェノバの貴族グリマルディの子孫だ。日本でもその当時は、他所から来た武士が山城に居着くというようなことは無数にあったわけだが、そのままいまに続く封建領土はもちろんいない。なぜモナコは、フランス共和国に囲まれながら存続できたのか。
そもそもカンヌーニースーモナコーマントンの地中海沿岸は、19世紀後半まではフランスではなくイタリアの一部だった。11世紀頃からジェノバ共和国の領地となり、19世紀には西側はサルディーニャ王国の飛び地、東側はモナコ公国となっていた。そのサルディーニャ王国は、ちょうと日本で明治維新が起きた頃に、無私の英雄ガリバルディの活躍もあってイタリア統一を果たすのだが、その過程でフランスを味方につけるべく、サヴォイアやニースをフランスに割譲したのである。ちなみにガリバルディはニース出身であり、せっかくイタリアが統一されたにもかかわらず故郷がフランス領になってしまったことに、いたく落胆、憤慨したという。
サルディーニャ王国の保護領であったモナコ公国も、統一イタリアに組み込まれそうだったところだが、そこで逆転劇が演じられた。当時のモナコ公は、イタリアと接するマントンなど時刻領土の大部分をフランスに売却し、外交や軍事もフランスに委ね、市街地の一部だけを自領として保持するのに成功したのだ。フランスに囲まれることで、「イタリアに組み込まれていくのを逃れたというわけである。肉を切らせて骨を断つ、というのか、肉を切らせて骨だけ残したというべきか。
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大公宮殿前広場から東側に向けては緩い傾斜地で、規模は小さいが中世のままの迷路状の市街が残っている。穴倉のような感じの街路にセンスのいい店が並び、のんびりした時間が流れていた。ここまで警官も軍人も1人も見ていない。電車で20分しか離れていないニースで、10ヵ月前に観光客を狙った陰惨なテロがあったというのがウソのようだ。
警官がいないのも道理で、狭い国土には監視カメラ網が張り巡らされているそうだ。路上で何かやれば必ず摘発されることから、強盗その他の暴力犯罪は極端に少ないらしい。プライバシーが国にダダ漏れということだが、幸いその国には圧政を敷く実力がないので(そもそも街路1つまたげば外国である)、実害がないということなのだろう。
繁華街のビル1階にいきなり口を開けているモナコ・モンテカルロ駅南口から、エレベーターで下り、北東方向への長い地下通路をたどってホームに戻る。18時前で、やってきた電車はニース方面に帰宅する通勤客で満員状態となった。その中にようやく1人、黒人のおばさまの姿を見かける。そういえば大公宮殿に上る坂ですれ違った観光客の中にも、2人だけ髪を布で覆ったムスリムの女性がいた。だが他には、自分のようなアジア人も含め、非白人を見かけなかった気がする。
フランスからモナコへの出入りは誰でも自由だし、モナコの事業者がいまどき肌の色で従業員を選んでいるとも思えない。あまりに狭く住宅価格の高い国土に、貧民地区は存在できない。それゆえに醸し出される「金持ち白人の住む何でも高い国」というイメージが、何となく非白人の労働者や観光客を遠ざけているのかもしれなかった。もちろん住宅地区ではなくカジノ地区の方に向かえば、まったく違う光景があったのかもしれない。