MONTENEGRO EXPRESS: Bar to Belgrade by train
モンテネグロの地図
ベオグラードからポドゴリツァまでバール鉄道で行く方法【料金、絶景の場所、バールまで行くべき?
2016/06/24
セルビアのベオグラードからモンテネグロにバール鉄道で移動する際に首都のポドゴリツァまでか、その先のバールまで行った方が綺麗な景色を見えるのか分からないという方も多いと思いますが、
僕の結論としては“ポドリツアァまでで十分”だと思います。
http://seigo-f.com/post-544/
欧州で最も地味な首都、モンテネグロはポドゴリツァの街角に想う より
6時間のミニバス乗車の末、定時の15時半に着いたポドゴリツァのバスターミナル。人口62万人と鳥取県ほどの人口の国の、平成合併前の旧佐賀市ほどの人口の首都だ。と言ってしまうと佐賀市に失礼ではある。こちらにはスターバックスコーヒーもマクドナルドもない。ショッピングセンターもコンビニも、飲み屋街もライブハウスもない。でも欧州には珍しい、日本でもなかなか見かけないほど水晶色に澄んだ川が、小さな市街地の真ん中をとうとうと流れ下っていた。
バスターミナルの横にある液をのぞくと、ちょうど1日に何本もない列車が、アドリア海沿いのリゾートエリアから何時間もかけて着いたところだった。思いのほか大勢の乗客が降りて来る。この列車はこれから、セルビアのベオグラードに向けて、筆者がいままで抜けて来たのと方向は違うが、同じようにとんでもなく険しい山地を超えていくはずだ。
モンテネグロ語は、南スラブ系のセルボ=クロアート語の一方言だというが、その話者であるモンテネグロ人の顔つきは、スラブ人というよりもラテン系のイタリア人だ。日本人の多くは民族と人種を区別して議論していないように思われるが、民族とは人種(DNAウ以来の違い)ではなく言語や宗教に基づく区分なのである。日本人の中に、韓国人そっくりの人もいればインドネシア系の顔の人も、白人のような顔立ちの人もいるというのと、話は同じだ。
このモンテネグロ人が歴史の表舞台に登場したのは19世紀、露土戦争の後の和平会議だったと、高校時代に読んだ記憶がある。会議に現れた慣れぬ集団が、「我々はモンテネグロ公国だ。昔から独立していたので、国として認めてほしい」と主張したのでみな驚いたというのだが、実際にはその前から同じスラブ系のロシアの支援を受けていたらしい。
旧ユーゴの解体後も最後まで、この国はセルビアと連邦を形成していた。セルビアの首都ベオグラードとこの国の間には大峡谷があって。鉄道はあるものの往来はまったく密ではなく、空の便も小型機が1日4往復だけだ。しかしトルコに制圧されつつも反抗し続けたセルビン人からすれば、「俺たちにもできなかった独立を貫いたモンテネグロは大したものだ」ということで、両者は仲がよかったのである。同じキリスト教の正教を奉じ、キリル文字を使うということでも、違和感はなかった。そんなら同じ国になったらどうかということだが、言葉が(方言が)少し違ううえ、歴史的には独立を保ってきたモンテネグロとして、ここでセルビアと国家統合までをする気にならなかったのだろう。
とはいえセルビアが、ボスニア紛争に続くコソヴォ紛争で西欧をますます敵に回す中、観光客にも来てほしい国情から、モンテネグロも静かに独立することになった。モンテネグロの人口の3割以上はセルビア人なのだが、モンテネグロ政府が彼らを弾圧するわけでもなく、かつモンテネグロ自体が地政学的に要地でもない。その結果さしものセルビアも「去る者は追わず」だったのは、前述の通りである。
そんな当国は、EU加盟国でもないのに、勝手にユーロを通貨に使っている。アドリア海沿いの観光開発が最大の成長戦略だが、目立ったリゾート施設もないようだ。筆者の止まったホテルも、いかにも資本主義化後に儲けた成金が建てたという感じの、センスの良くないゴテゴテの大きな建物だったが、宿泊客はほとんどいなかった。