旧日本軍の気球
北朝鮮、炭そ菌など30種類保有、人で運ぶ戦略も=米韓研究
2017年10月19日 大紀元
米国は最近、北朝鮮軍が30種類の生物・化学兵器を人体に試験するだけでなく、生きている人を運搬体としてバクテリア戦争に使うことも計画しているとの研究内容を発表した。
そのなかに含まれる2種、炭疽菌と天然痘は、韓国大統領府用の可能性が最も高いという。
https://www.epochtimes.jp/2017/10/28996.html
第4章 第1節 ボツリヌス・トキシン散布計画 より
1990年4月10日頃のことでした。「尊師のご自宅に行ってください」と、私はCBI(教団の建設班)のあるメンバーから告げられたのです。
数日前にも私は麻原から彼の自宅に呼び出され、「家族に執着しているか」などと、当時の心境についての質問を受けていました。普段とは異なり、麻原の側近は同席せず、1対1でです。この状況も相俟って、そのような話のためになぜ呼ばれたのか、私には理解できませんでした。そのときは。
再度の呼び出しに<今度は何だろうか>と思いながら、私は第1サティアン(教団の施設の名称)1階のCSIのエリアから、麻原の自宅がある4階へと向かったのです。
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果たして麻原は、
「そうか、分かっていたのか」
と、感慨深げに応じました。そして再び私に問いました。
「表面的なことはすべて分かっているようだが、深い意味はどうだ」
「現代人は悪業を積んでいるから、カルマ落としをするのですか」
私の回答に触れることなく、麻原は説き始めました。
現代人が悪業を積んでいるために、地球が三悪趣化し、宇宙の秩序が乱れている。それを我々が正さなければならない。
これから上九で培養するのは、ボツリヌス菌である。この菌が生産するボツリヌス・トキシンは、少量でも吸いこむと呼吸中枢に作用し、呼吸が停止する。そしてサマディー(三昧。宗教的に高度な瞑想状態。呼吸が停止するとされる)に至り、ポアされる。
このボツリヌス・トキシンを気球に載せ、世界中に撒く。これは第二次世界大戦中に日本軍が行なった「風船爆弾」の方法である。中世ヨーロッパでペストが流行したときは黒死病といわれたが、今回の病は白死病といわれるだろいう。
ここで、なぜ我々がやらなければならないのか、疑問が生じるかもしれない(麻原は本説法に潜航して同年3月24日、「神々が秩序を戻す」と出家者に説いていた)。これは本来、神々がやることだが、神々がやると天変地異を使い、残すべきものを遺せないから我々がやるんだ。そして、縁ある者を地球に転生させて、真理の実践をさせる。
今回の衆院選は、私のマハーヤーナの救済(大乗の救済。ここでは合法的な布教による救済)のテストケースだった。その結果、マハーヤーナでは救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく。これは最初から分かっていたことだが、私もだいぶ悩んだんだ。なあ〇〇、私はちょうど1年前にもこのようなこと(ボツリヌス・トキシン散布計画のようなこと)を言ってたよな。
この2週間のワークは精神的・肉体的に厳しいだろうが、この20人で行う。
かくして麻原は、ヴァジラヤーナの救済の開始を宣言したのです。いつしか、その場は厳粛な雰囲気に包まれ、私どもは説法に聞き入っていました。
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ヴァジラヤーナの救済を麻原が行動に移した(結果は伴いませんでしたが)契機は、自ら述べているように、衆院選での落選と考えて矛盾はありません。その蹉跌によって麻原は、現代人は救済し難いとの認識をより深め、かかる衆生を救済する手段といわれるヴァジラヤーナへと舵を切ったのでしょう。それが、「マハーヤーナでは救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」という言葉の意味です。本卒的には前述のように、ヴァジラヤーナの救済の野望が臨界近くまで達していた麻原に、衆院選での惨敗が加わったに過ぎないのかもしれませんが。
なお、「これは最初から分かっていた」という麻原の言葉については、額面どおり受け取れない部分があります。それはむしろ、落選する結果になる衆院選に出馬したことの正当化でしょう。
まず麻原は衆院選について、落選を最初から承知の上で敢えてテストしたという状況ではなく、当選を目指して真剣に取り組んでいました。たとえば1989年12月から翌年1月頃、麻原は私に電話で、「わしは当選するかどうか心配でしょうがないんだよ」と漏らしたり、「(衆院選に関する報道で、麻原を)泡沫候補とか言っているが、今に見てろよ」と話したりしていたのです。
一方ヴァジラヤーナの救済の実行については、衆院選出馬の前から一貫して麻原の念頭にあった可能性は否定できません。事実、麻原は1989年7月に衆院選出馬を出家者に発表した後も、ヴァジラヤーナの救済を説き続けていました。特に同年9月24日には東京本部道場(世田谷)において、当時としては例外的に、在家信徒にまでポアを説いたほどです。ですから、麻原は政界進出を目指しつつ、ヴァジラヤーナの救済を意思していたのかもしれません。
麻原は説法を終えると、私どもの一人一人に任務を与えました。上九にプレハブ棟を建設し、その中にボツリヌス・トキシン生産プラントを製作するのはCBIの担当。プラントの設計と、プラントの制御盤、AM放送局程度の出力の送信機(電話等が不通になることを想定しての通信用)、気球の各政策は主にCSI。ボツリヌス菌の大量培養のための種菌の準備は主にCMI(教団の医学班)。ボツリヌス・トキシンの各生産工程、すなわち菌の大量培養(容量10m3乗の培養槽X4基)、トキシンと菌の分離、トキシンの乾燥・粉末化に関係する作業は主に大師。私は菌の大量培養の責任者を命じられました。
また麻原は、「このメンバーは、石垣島へは行かない」と明かしました。石垣島でのセミナーは、教団関係者の避難が目的だったのです。ボツリヌス・トキシンを搭載した気球は偏西風に乗せて拡散する予定でしたが、石垣島は偏西風の経路から外れているわけです。この計画の従事者は、セミナーが開催されている頃に気球を放った後、富士山総本部道場に用意された気密室に避難する段取りでした。
この会合の最期に、麻原は私どもに「直ちに作業にかかれ」と指示しました。その号令に従い、私どもは時を移さずに任務に就いたのです。普段と変わりなく。