チベット仏教講座「タントラヴァジラヤーナとは?」
第3章 第1節 ヴァジラヤーナの教義 より
1989年4月7日午前零時過ぎ。富士山総本部道場第1サティアン(教団の施設の名称)3階における、麻原による出家者向け説法会――。
「じゃあ、広瀬いこうか」
麻原からの予期せぬ指名に、私はとまどいました。「数百人の商人を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいた。釈迦牟尼の前生はどう対処したか」――この難問への回答を求められたのです。
なぜ難問か。それは、私どもが説かれてきたのは、徹底した「非暴力」の教えだったからです。私が在家信徒だった頃は、武道さえ暴力とみなされ、悪業になると解釈されていました。暴力は、信徒が最も恐れる地獄に転生する因になります。だからこそ私は回心後、剣道を断念せざるを得なくなぅたのです。殺意を抱いて襲いかからんとする悪党に、非暴力でどう立ち向かえというのか。
悪党に殺されるのも己のカルマのゆえであり、カルマを清算するためには、その運命に身を委ねたほうがいい。それを正解とするのがむしろ、私の知るオウムの教義でした。しかし麻原の雰囲気は、異質の回答を求めている……。
<なぜ私が……>
私は当時、出家してわずか1週間、私の直前までは。古参の大師が指名されていたのです。名前を聞き違えたのかもしれない。あるいは、同姓の先達が指名されたのかもしれない。しばらく迷いましたが、誰も回答しなかったので。ためらいつつも私は口を開きました。
「何とかだまして捕えようとすると思います」
その後、同じような問答を数人と繰り返してから、麻原は説き始めました。
例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること。それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変われるかもしれないけど、その苦しみが彼にとってプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね。当然。これがタントラ(本説法ではタントラ・ヴァジラヤーナの略であり、本手記のいうヴァジラヤーナ)の教えなんだよ。
つまり釈迦牟尼の前生は、悪党を殺していたのです。その行為について麻原は、悪党がより厳しい苦界により長い期間にわたって転生するのを防ぐためだったと解釈しました。悪党は、悪業を犯し続けるのを放置されれば、地極転生は必定です。地獄に転生する責め苦は、殺される苦痛の比ではない。これがオウムの教義であり、信徒の感覚でした。常識とは相反するこの検知に立脚するり、教団においては、殺人も救済になり得たのです。
この回答は、虫を殺すことさえ固く禁じる教えを説かれて続けていた私には、慮外のものでした。しかし従前の説法とは一転、ここで麻原は仏典を引用して、「殺人」を肯定したのです。そして、この救済としての殺人は、「ポア」と呼ばれるようになりました。
ただし、そのとき麻原は、直ちにポアの実践を説いたわけではありませんでした。説法の最期は、「まあ、今日君たちに話したかったことは、心が弱いほど成就(解脱・悟り)は遅いよということだ」などと結んでいます。この説法に接して私も、強い心で救済に臨まなければならなうと思いこそすれ、ポアを実行に移すことは想像さえできませんでした。
ただ、麻原が説法を終え、席を立ちながら言った言葉は、いつまでも私の心にまとわりつきました。「釈迦牟尼でさえ救済できないのに、だまして捕えるなどというのは傲慢だ」と、吐き捨てるように、私の回答を批判したからです。
その後、翌年4月までの1年間、麻原は同じテーマを断続的に説くことになります。仏典を引用したこの説法が、麻原による一連の「ヴァジラヤーナの救済」の説法の始まりでした。そしてそれゆえに、この説法には、秘められた麻原の本心が滲み出たのではないでしょうか。
前述の弟子との問答において麻原は、出家して間もない3人を指名しました。このように新参者が指名されるのは、稀です。事実、そのとき指名されたほかの5人は、すべて古参の大師でした。ですから当然、麻原には考えがあって、この3人に回答を求めたはずです。
この3人は、すべて理系であり、CSI(Cosmic Science Institute=教団の科学班)のメンバーでした。私の次に指名された者は、東京大学理学部基礎科学科卒。その次は、防衛大学応用物理学科卒。端的に言うと、麻原はこの3人に、ヴァジラヤーナの救済を実践させようと意図していた――のでしょう。
ここに、麻原において教団を武装化し、数々の事件を起こした動機が、「ヴァジラヤーナの救済」であることは明らかです。後に教団の武装化や社会に対する破壊的活動に携わらせたCSIのメンバーを意識して、ヴァジラヤーナの救済を説いているのですから、この説法以外の諸状況も考慮すると、麻原のその動機について、それ以外に解釈の余地はありません。