じじぃの「歴史・思想_39_パリとカフェ・モンパルナス」

The Montparnasse district

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xQn0yGgBcGA

【パリ】偉人も通った!モンパルナスの4大カフェを巡る旅

TravelBook
今回はパリの南部に位置するモンパルナスの4大カフェをご紹介します。
地下鉄4号線のヴァヴァン駅を出たところにある4つの老舗カフェは“モンパルナスの4大カフェ”と呼ばれています。どのお店も有名な芸術家や、多くの著名人が通ったと言われており、お店のたたずまいも歴史を感じさせます。老舗ですが、どこも気取った感じはなく、入りやすい雰囲気です!
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『パリとカフェの歴史』

ジェラール・ルタイユール/著、広野和美、河野彩/訳 原書房 2018年発行

モンパルナス――世界変革の場 より

通りの命名法に注目してみると、モンパルナスはモンパルナス通り(rue du Montparnasse)とモンパルナス大通り(boulevard du Montparnasse)という同じ道が直角に交わる場所だ。縦のモンパルナス大通りは、詩人のレオン=ポール・ファルダが息を引き取った建物から、(ラ・クロズリー・デ・リラ)という店まで続いている。横のモンパルナス通りは進むうちにガイテ通りと名を変え、マリ^・ド・メディシス(1575~1642)の旧居の脇まで続いている。
ここは、かつてオラニエ公ウィレム1世とサラセンの巨人イゾレが戦った場所だ。このあたりはヴォヴェールの領地で、ロベール2世[10~11世紀のフランスの王]の荒れ果てた城があり、ごろつきどもが夜遅きに出歩いている人から金品を巻き上げて悪行を尽くしていた。「遠く離れた場所で迷わないように」という意味の「ヴォヴェールの悪魔の手に落ちるな」という言い回しがあるのもこうしたところからだろう。王政復古期にルイ=フィリップによって、街区をはっきりわけるための土地の区画整理がおこなわれてやっと、こうした状況が改善された。革命前のモンパルナス通りは、まだ風車の並ぶ畑のあいだを通る細い道に過ぎなかった。モンパルナスが栄えはじめるのは、1783年にのちにガイテ通りと呼ばれる未舗装の道に並んだキャバレーのあいだに<ラ・グランド・ショミエール>というダンスホールができてからのことだ。
1800年には、スイスの山々を模した公園「ジャルダン・ド・モンターニュ・スイス」の近くに、わらぶきの小屋に沿って高さ65メートルまで上る風光明媚な遊覧鉄道ができ、<レルミタージュ>、<ラルク・アン・シエル>、<レリゼ・モンパルナス>など、ほかにもダンスホールが開店した。この通りが、以降も長くモンパルナスの繁栄の中心地になった。そして少しずつ、カンパーニュ=プルミエール通りと同様に1本のぬかるんだ道としてはっきり姿を現してきた。まず、1797年ぶドイツ国境の町であるヴィサンブールに初遠征を果たしたことで知られるタボニ将軍(1749~1831)によって土地が区画整理された。のちに、ヨハン・ヨンキスト、ジェームズ・ホイッスラー。ポール・ゴーギャンエドアール・マネらが通ったグランド・ショミエール絵画学校もここに開設された。学校の名前は、かつてティクソンというイギリス人が古い空き家に開いた、人気のダンスホール(ラ・グランド・ショミエール)から取られている。
20世紀初頭まで、モンパルナスはあまり絵画や物語に登場しない場所だった。例外はシャルル=ルイ・フィリップの小説『モンパルナスのブブ』とアリスティート・ブリュアンというシャンソン歌手の歌のひとつに悪がきどもが駅の周りとモンパルナス墓地の壁沿いをうろつくシーンがあるくらいだ。ところが、20世紀初頭になると数人の画家がここを拠点にした。ホイッスラーはダサス通りに、ヨンキントはモンパルナス大通りに居を構える。カンパーニュ=プルミエール通り9番地には、1889年のバンコク博覧会の解体資材を一部使用して変わった巨大建造物ができた。ここには、オトン・フリエス、ジュール・フランドラン、シャルル・ゲラン、マルヴィァル、リュック=アルベール・モローなど、アンデバンダン展に出品した芸術家が住んでいた。この頃、カウンターのそばに自動販売機があることで有名な<ラ・ロトンド>はまだ大衆的ダンスホールに過ぎなかった。しかしまたたくまにパリの芸儒家を引きつける中心になり、モンパルナス地区の人々にとって文字サークルとの出会いの場になっていく。象徴派の詩人たちは<ラ・クロズリー・デ・リラ>に集まった。『ラ・レヴュ・ド・モンパルナス』誌のグループは、「ル・パルナッス」に集まった。外国人たちはドイツ人にならって<ル・ドーム>に集まった。さらに、強い刺激を求めたパリのブルジョア階級もこれに加わる。いくつかの店が歴史的事件と結びついている。
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1886年、ガイテ通りにモンパルナス劇場が建設される。セヴェストが劇場を建ててから1世紀後に、演劇人のガストン・パティがここを各国の芸術家や詩人が出会う場にするなど誰が想像しただろうか? ガイテ通りには、かつてフルーリュス通りにあった<リュクサンブール劇場>にあたる<ガイテ・モンパルナス劇場>もあった。この劇場をつくったのは曲芸師兼道化師兼口上師兼歌手のボビノ――本名を[サックス]という――だ。彼はのちにメーヌ通りが突き抜けることになる空き地[ガイテ通り26番地。現在まで続くガイテ・モンパルナス劇場の敷地]に建てられたバラックを拠点にキャリアをスタートさせた。