じじぃの「歴史・思想_36_パリとカフェ・モンマルトル」

Vice and revolution: Montmartre's scandalous history

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DYRPyNIO1Eg

Montmartre, an authentic village in the heart of Paris

絵画の舞台にもなったモンマルトルの丘のムーラン・ド・ラ・ギャレット&ムーラン・ルージュ

April 15, 2013 ヨーロッパ、女一人旅 ~パリが恋しくて
オルセー美術館所蔵のピエール=オーギュスト・ルノワール作『ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット』こと、『Bal du Moulin de la Galette』バル・デュ・ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット。
『ギャレット風車のダンスホール』と名づけられたその作品の舞台、今はダンスホールはなくなってしまいましたが、風車だけが当時の面影を残しています。
https://ameblo.jp/co-malico/entry-11511851202.html

『パリとカフェの歴史』

ジェラール・ルタイユール/著、広野和美、河野彩/訳 2018年発行

モンマルトル、パリのキャバレー より

いまからおよそ100年前のこと、ある田舎くさい平和な村が驚くような人々の隠れ家になった。故意に目立とうとしているわけではないのに目立ってしまう人々の隠れ家に。城壁の代わりの傾斜した道に守られ、西側は記憶の溜池のように時間がとまっている墓に囲まれたその場所は、数々の戦争や政変や風潮をものともせずに、控えめながら変わることなく存在し続けてきた。その村の名前はモンマルトル。
この丘は軍神マルスの丘、ヘルメスの丘、殉教者の丘など、歴史上さまざまな名前で呼ばれてきた。フランス革命の際に高台も石切場が革命派の隠れ家になっていたことを記念してマラーの丘[マラーはフランス革命の大立役者の医師・政治家]と呼ばれることもある。こうした呼び名は、この場所がすでに伝説に登場していた証拠といえるだろう。
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1852年、作家のジュラール・ド・ネルヴァルはモンマルトルにインスピレーションを得て『散策と回想』という作品を書いた。「かつて山だった側面を飲み込む大津波のように、新しい家が建っていく。(中略)しかしメギの木が紫の花と緋色の実に彩られた厚い緑の生垣に覆われたなだらかな丘はまだ残っている。丘には風車やキャバレーや園亭や田舎風の地上の楽園があり、わらぶきの小屋や納屋や草木の生い茂った庭が並ぶ静かな路地が続いていた。(以下略)」
1886年テオドルス・ファン・ゴッホフィンセント・ファン・ゴッホ兄弟が住み着いたときのモンマルトルには、まだ薄暗い庭に沿った細い道と丘の頂上まで続く、ところどころ崩れかけたジグザグの壁沿いの道しかなく、丘は粘土質の土が顔をむき出しの土に短い草がところどころ生えた場所に過ぎなかった。そこかしこにイラクサキイチゴとユリの茂みと小さなあばら家があったのが特徴だった。1890年10月、フィンセント・ファン・ゴッホは木造のビリヤード場の庭にイーゼルを置く。ここが今日ルーヴル美術館に展示されている『ラ・ガンゲット』を描いた場所だ。ガンゲット[ダンスホール]という呼び名は、場末のキャバレーで安く飲めた少し酸っぱいワイン「ガンゲ」に由来する。1896年、画家のシュザンヌ・ヴァラドンと、息子で同じく画家のモーリス・ユトリロが、ソル通りとコルト通りの角にあったエリック・サティの家の近くに家を借りる。ヴァラドンたちの隣に住んでいたのは何を隠そうキャバレー<ル・ミルリトン>で人気を得ていた歌手のアリスティート・ブリュアンだった。
モンマルトルはそれほど広くはない。しかし迷路のような地区ならばどこでもそうだろうが、歩いてきた道を反対に戻るだけで新しい景色を見つけることができたし、散歩している活力に溢れた人とすれ違うことができた。すれ違う人のなかには、美術評論家のフェリックス・フェネオン、画家のアンリ・ド・トゥールーズロートレック、同じく画家のカミーユピサロ、石版画家のシャルル・モラン、印刷屋のオーギュスト・ドゥラートル、霧の城[画家が多く住んでいた建物]を出てトゥルラック通りにあったアトリエへ向かうオーギュスト・ルノワールがいただろう。ルノワールのうしろには、カタツムリを捕まえながら歩く息子のジャン・ルノワール[長じて映画監督となる。代表作『ゲームの規則』]がいた。ルノワールがモンマルトルに住もうと決めたのは、エミール・ゾラの本を出版したジョルジュ・シャルパンティエに会いに行く途中だった。肖像画制作を頼まれてシャルパンティエに会いに行ったルノワールは『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』を描きたくなった。そこで、できる限り風車(ムーラン)[<ムーラン・ド・ラ・ギャレット>は当時モンマルトルにあったダンスホールで、入り口に風車が立っていた]の近くに住むことのしたのである。深く刺さったコナラの支柱の上に建てられた風車は、空に向かって羽を伸ばしていた。