じじぃの「科学・芸術_866_数学的な宇宙・謎のマイクロ波」

Looking Back at the Beginning of Time at the Cosmic Microwave Background Radiation

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DcE-2rsG90o

Cosmic Microwave Background

NHKドキュメンタリー 「超AI入門特別編 世界の知性が語る パラダイム転換 ~第一夜 脳と宇宙がつながる時~」

2019年6月26日 NHK Eテレ
●宇宙物理学者 マックス・テグマーク
何やらミステリー仕立てです。
「1秒後、私は死んだ」
どうやらトラックにひかれて死んだ人の告白なのですが、
「現実としか思えない。だが、本当に現実だと誰が言い切れるのか。トラックを構成するのは原子核だが、その原子核の質量の99.95%を占める原子核は、体積にするとトラックの体積のたった0.0000000000001%を占めているにすぎない。あとは原子核の間のスカスカな空間だ。さらにその原子より小さな素粒子の動きは異なる場所に同時に存在できる。これが量子物理学の世界である」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92225/2225691/index.html

『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』

マックス・テグマーク/著、谷本真幸/訳 講談社 2016年発行

時間軸上の私たちの位置 より

謎のマイクロ波はどこから来たのか

私がニュートンフリードマンから教わった教訓は、「適用範囲を広げよ!」ということ、すなわち、ある範囲に適用できることが分かっている物理法則があったなら、それを新しい未知の状況にも適用し、観測可能な興味深い何かが預言されないか考えてみよ、ということだ。ニュートンガリレオが地上で確立した運動法則を、地上を離れて月や太陽系の惑星にも適用した。フリードマンアインシュタインが太陽系で確立した運動と重力の法則を宇宙全体に適用した。適用範囲を大胆に広げることがいかに多くの成功をもたらしたかを考えると、当然、この指針は科学界のミームとして定着しているものと思うかもしれない。とりあけ、フリードマンの膨張宇宙のアイデアが受け入れられた1929年以後は、このアイデアを過去に適用したら何が分かるかを世界中の科学者が競って系統的に調べたと思うかもしれない。しかし、そうはならなかった。たとえ私たち科学者が、どんなに力を込めて、自分たちのことを真実の合理主義的探求者だと主張しても、偏見、同僚の目、群衆心理といった人間が持つ弱点の影響を、科学者も他のすべての人と同じように受けるものなのだ。これを克服するには、単なる計算能力以上のものが必要とされることは明らかだ。
私にとって、それを備えていた宇宙論の次のスーパーヒローは、フリードマンと同じロシア人のジョージ・ガモフだ。レニングラード大学における彼の博士論文の指導教官は、実際、アレクサンドル・フリードマンその人だった。フリードマンはガモフの研究を2年指導したしただけで他界したが、彼のアイデアと知的大胆さはガモフに受け継がれた。
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プラズマ球面の存在が明らかになると、今度はその写真を最初に撮る競争が始まった。放射の温度は基本的にはどの方向を見ても同じだ。そのため、ペンジアスとウィルソンが得ることのできた画像は、真っ白な画面に「霧のサンフランシスコ」と書かれたジョークの絵はがきと同じだった。赤ちゃん時代の宇宙の写真だと本当にいえる興味深い写真を得るには、測定のコントラストを増強し、異なる方向を見たときほんのわずかな温度の違いを検出できるようにする必要があった。実際、そのようなゆらぎは存在するはずだった。なぜなら、過去に宇宙の条件が場所によらず完全にどこでも同じだったとしたら、物理法則から、宇宙の条件は現在でも場所によらず同じはずだが、しかしそれは、ある場所には銀河があり別な場所にはないという、現在の物質の寄り集まった宇宙の姿と矛盾するからだ。
しかし、そのような赤ちゃん時代の宇宙の写真を撮ることは、非常に困難な挑戦だということが分かる。結局、技術が熟すまで、およそ30年もかかったのだから。測定データに混入するノイズを減らすため、ペンジアスとウィルソンは液体ヘリウムを使って検出器の温度を宇宙背景放射の温度近くまで冷却する必要があった。ところが、宇宙背景放射の空間的な温度ゆらぎというのは、1パーセントの約1000分の1という非常に小さいものであることが分かり、これを検出して赤ちゃん時代の宇宙の写真をものにするのは、ペンジアスとウィルソンの測定よりも10万倍も高感度の測定が必要だったのである。
世界中の実験かこの目標に挑戦し、失敗した。絶対無理だと言う研究者もいたが、絶対に諦めない研究者もいた。1992年5月1日、私が大学院生だった頃、誕生してまだ日の浅かったインターネットが、うわさで騒然となった。NASAのCOBE(コービー)と呼ばれる観測衛星を使って冷たい宇宙空間で行われていたそれまでで最も野心的なマイクロ波背景放射観測実験の結果が、ジヨージ・スムートによって発表されるというのだ。私の博士論文の指導教官だったジョセフ・シルクは、そのジヨージの講演の司会をすることになっていた。ジョセフがワシントンDCに飛び立つ前、私は彼に、発見の可能性はどれくらいだと思いますかと訊ねた。彼はこう答えた。スムートらは宇宙背景放射のゆらぎを見たのではなく、たぶん、私たちの銀河内からやって来るラジオ波のノイズを見たのだろう、と。
しかし予想に反し、ジヨージ・スムートは、私の研究人生だけでなく、宇宙船という研究分野全体を変えるような、破壊力抜群の爆弾を炸裂させた。驚きべきことに、彼のチームは宇宙背景放射のゆらぎを本当に発見したのだった。

スティーブン・ホーキングはこの発見を「史上最も、とは言わないまでも、今世紀で最も重要な発見だ」と言った。

なぜなら、私たちの宇宙がわずか40万歳だった頃の姿を捉えたこの写真は、以下で説明するように、宇宙の起源に関する決定的に重要な手がかりが含まれていたからだ。