じじぃの「歴史・思想_26_合衆国史・新世界の発見」

How a 1507 German Map Became America’s Birth Certificate

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sXcHi35LRLw

ヴァルトゼーミュラーの地図

ヴァルトゼーミュラーの地図

ウィキペディアWikipedia) より
ヴァルトゼーミュラーの地図(英名:Waldseemuller map)は、ドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーにより描かれた地図で1507年4月に公表された。
プトレマイオスの例に倣って、経度と緯度を正確に図表で表した最初の地図の一つであり、また初めて「アメリカ」という名称を用いた地図でもある。ヴァルトゼーミュラーは、球体に切り取って貼ると地球儀を作ることができるようデザインされた、地球儀用の三角巾も製作している。

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『植民地から建国へ 19世紀初頭まで シリーズアメリカ合衆国史①』

和田光弘/著 岩波新書 2019年発行

近世の始動 「新世界」の「発見」 より

そもそも「近世」(初期近代)とは、西洋史において16世紀から18世紀後半までを切り取る概念で、アメリカ史に引き付けて定義するならば、コロンブスによる新世界の「発見」から、歴史家J・G・A・ポーコックの言う「最後の古典的革命」として始まったアメリカ独立革命に至る時代を指す。すなわち同じ「近代(モダン)」でも、今日に連なる国民国家の時代たる19世紀とは大いに異なる時代相が推定されている。
その近世史の起点として、1492年は最もふさわしい。この年、スペイン(カスティリャアラゴン連合王国)を共同統治するカスティリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世は、イスラーム勢力の支配するグラナダを攻略してレコンキスタ終結させ(やがて教皇アレクサンデル6世より「カトリック両王(レイエスカトリコス)」の称号を与えられる)、さらに同年、両王はコロンブスを支援して、あの有名な航海が実現したのである。コロンブスは新世界へ計4回、航海を行なうが、しかしながらこの1492年の第1次航海で彼が「新世界を発見した」と表現するのは、必ずしも正確でない。
むろんこの謂(いい)はいわゆる西洋中心史観に基づくものであり、たとえばコロンブスが新世界へ到達した日は、アメリカ合衆国ではコロンブス・デイとして国の祝日(現在では10月第2月曜日)に定められているが、これに否定的な州も散見され、またとりわけ500周年の1992年には、先住民を大量に虐殺したコロンブスへの批判が世界じゅうで高まった。だが純粋に史実の観点からしても、この表現は正確さに欠けると言わざるをえない。なんとなれば、彼は自らが「経験上」、実際に見出した世界を、「認識上」では新世界、すなわちヨーロッパ、アフリカ、アジアに次ぐいわゆる「第4の大陸」ととらえておらず、先に述べてようにあくまでもアジア(インディアス)の一部と信じていたからである。
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スペインのドミニコ会士でインディオ擁護の論陣を張って有名なバルトロメ・デ・ラス・カサスも、ヴェスプッチ(アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして地理学者)を批判する。曰く、ヴェスプッチが「口をつぐんでいる」ため、「実際はアメリコ[アメリゴ]以外の人たちに帰せられるべき功績を、彼に帰している者も何人かいるのである」(長南実訳)。じじつ、ヴェスプッチよりも先に、1493年にすでに「新世界」の概念に到達した人物として、イタリア人のペドロ・マルティルの名も挙げうるし、実際、ラス・カサスは彼を高く評価している。
とまれ、かくしてヨーロッパ人の「経験」と「認識」双方の上に新大陸アメリカは忽然と立ち現れ、近世という時代が大きく動き始めたのである。
もっとも、新世界を最初に訪れたヨーロッパ人はそもそも誰かと問えば、それは正確にはコロンブスではない。さらに500年も前に、ノルマン人(ヴァイキング)がすでにこの地にたどり着いていたとの説が有力である。グリーンランドの定住地からレイフ・エリクソンらが航海し、彼らの伝承によれば「ヴィンランド」に到達したという。
それらしき遺構が見つかったカナダのニューファンドランド島に同定されることが多いこの入植地は、ごく短期間で放棄されたと思われ、彼らの探検の史実はその後のヨーロッパの歩みにとって大きな意味を持つことなく、いわば歴史の闇の中に消えてしまった(アメリカ合衆国では今日、10月9日のレイフ・エリクソン・デイは記念日ではあるが、コロンブス・デイのような国の祝日ではなく、イタリア生まれとされるコロンブスを押し立てたイタリア系に、記憶をめぐる主導権争いで北欧系が及ばなかった経緯が投影されている)。
その他、忠誠末期に西方の未知の地を見たとするイギリスの船乗りたちの証言も、完全には否定できないが、やはり新たなアメリカの歴史は1492年をもって始まったといえる。新旧両大陸の封印は破られ、孤立していた2つの世界は驚くべき勢いで交流を開始した。禁断のパンドラの箱が開かれたのである。