Treasures from the Royal Tombs of Ur
ウル王墓 金製の兜
Weapons from The Royal Tombs of Ur
The gold helmet of King Meskalamdug. This is an electrotype copy of the helmet which is in the Baghdad Museum. See the original helmet, and a three-quarter view. Click on any image to enlarge it in a separate window.
This helmet is made to look like the wearer's own hair, with a knotted bun in the back, and a woven band on top. The holes at the bottom of the helmet were used for a cloth trim and to hold an interior lining. The Akkadian king, Sargon the Great, wears a similar helmet. The same kind of helmet is also worn by King Eannatum. This helmet was discovered in an extremely lavish burial, PG 755. Several objects in the tomb mention Meskalamdug, but the cylinder seal of Meskalamdug was found in another royal tomb; so there's some confusion as to which is really his tomb.
http://sumerianshakespeare.com/117701/118301.html
ダイヤモンド社 絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている 左巻健男(著)
【目次】
1 すべての物質は何からできているのか?
2 デモクリトスもアインシュタインも原子を見つめた
3 万物をつくる元素と周期表
4 火の発見とエネルギー革命
5 世界でもっともおそろしい化学物質
6 カレーライスから見る食物の歴史
7 歴史を変えたビール、ワイン、蒸留酒
8 土器から「セラミックス」へ
9 都市の風景はガラスで一変する
10 金属が生み出した鉄器文明
11 金・銀への欲望が世界をグローバル化した
12 美しく染めよ
13 医学の革命と合成染料
14 麻薬・覚醒剤・タバコ
15 石油に浮かぶ文明
16 夢の物質の暗転
17 人類は火の薬を求める
18 化学兵器と核兵器
https://www.diamond.co.jp/book/9784478112724.html
金は欲望の源となった
金は文字通り黄金色の美しい光沢を持つ。化学的に非常に安定で腐食しにくいので、黄金色の輝きをいつまでも失わない。人類がもっとも古くから利用してきた金属の1つで、世界中で通貨や装飾品として珍重されてきた。
たとえば、『旧約聖書』には金についての多数の記載があるし、メソポタミアのユーフラテス川下流域右岸のシュメール人が建設した都市国家ウルでは、紀元前3000年頃、すでに優れた金製の兜などがつくられていた。
また、エジプトの遺跡から発掘された多くの豪華な金製品はよく知られている。紀元前1300年代に在位したツタンカーメン王の墓からは、王のマスク、椅子、寝具、装身具など4000点以上の金製の副葬品が出土した。
紀元前3000~紀元前1200年頃栄えた、トロイ、クレタ、ミケーネのエーゲ文明も金製品を多く残した。
コロンブの大航海の原動力
大航海時代とは、15~17世紀にかけて、ヨーロッパ人が航海・探検によってインド洋や大西洋地域へ乗り出した時代だ。ポルトガルとスペインが切り開き、オランダ、イギリスが続いた。バルトロメウ・デイアス(1450頃~1500)の喜望峰回航、ヴァスコ・ダ・ガマ(1460頃~1524)のインド航路開拓、クリストファー・コロンブス(1451頃~1506)のアメリカ大陸到達、フェルナンド・マゼラン(1480~1521)の世界周航などが行われた。
当時のヨーロッパでは、日本(ジパング)は黄金の国とみなされていた。情報源は、マルコ・ポーロ(1254~1324)の『世界の記述(東方見聞録)』(1299年)である。そこには、「ジパングは東海にある大きな島で……黄金が想像できぬほど豊富なのだ。……支配者の宮殿の屋根はすべて黄金でふかれており、宮殿内の道路や床は指2本分の純金の坂を敷き詰めている」などと書かれていた。
マルコ・ポーロは、イタリア・ベネチア出身で、父・叔父に従って1271年に出発し、陸路で中央アジアを経て、1275年、大都(元の首都。北京の前身)に到着した。以後17年間、元の皇帝フビライに仕えた。
ベネチアに帰国したマルコは、ベネチアとジェノヴァとの戦いに参加するが捕虜になってしまう。その獄中で口述したのが『世界の記述(東方見聞録)』なのだ。彼は13世紀の中央アジア・中国・帰路の南海航路(東南アジア、ベンガル湾、南インド、アラビア半島など)を詳細に記述し、伝聞でジパングも紹介した。
マルコはジパングに行っていないが、まったくのつくり話とも言えない。749年、聖武天皇の時代、奈良東大寺大仏の金めっきのために陸奥(宮城県)の国から砂金が献上されたと『続日本記』にある。その後、奥州(東北地方)の金は、12世紀には奥州藤原3代の百年の繁栄を支えた。その産金総量は当時世界でも有数の10トンあまりに達した。
この時代の中国は、経済が空前の反映をみた宋の時代である。「日宋貿易」の決済に日本は砂金をふんだんに用いていたので、当時の中国人は、日本にやや過大な「金の島」のイメージを持ったのかもしれない。おそらく、中国人が持つイメージがマルコにも伝えられたのだろう。そして、前頁で紹介した「黄金の宮殿」は、中尊寺金色堂(1124年建立)の可能性がある。
コロンブスは大航海する前、マルコの『世界の記述(東方見聞録)』を熟読し、そのなかの黄金の国ジパングの記述の部分には何百ヵ所ものメモを書き記していた。
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そして、コロンブスはエスパニョーラ島で金と香料を求めた。しかし、香料は見つからず、金の産出もわずかであった。彼は先住民を虐殺しまくり、奴隷狩りに狂奔した……。
15世紀までの世界史の舞台は、地中海から西アジア、インド、中国に至る陸の帯状の地域に集中していた。それを大航海時代が大きく変えて、海を中心とする世界史へと大転換したと言えよう。
コロンブスは実際の「金の島」ジパングに到達しなかったが、大航海時代の原動力は金への欲望だったことは確かだ。コロンブスを支援したスペイン国王も、権力の基礎となる官僚や常備軍を維持する財源を必要としていたから、富(黄金)を求めて大航海を支援・推進したのである。
古代では銀は金よりも高価だった。
銀は昔から知られた金属だ。銀色のきれいな光沢を持つ金属で、金属のなかでもっともよく電気と熱を伝える。また、金に次ぐ展性(圧縮により伸びる性質)・延性(引っ張りにより伸びる性質)を示し、1グラムの銀は1800メートル以上の銀線に伸ばすことができる。
銀は自然銀でも産出したが、自然金よりは少ない。鉱石から取り出す必要があったがその方法は未発達であったため、金より希少性があった。
古代の銀は、おもに方鉛鉱という鉛をふくむ鉱石から取り出された。紀元前3000年ごろのエジプト、メソポタミアなどの遺跡からも鉛と一緒に発見されているが、金に比べて銀製品ははるかに少ない。バビロニア帝国の時代になると、銀製の壺などが出てくる。この頃は、銀のほうが金よりも高貴であるとされた。
紀元前3600年頃のエジプトの法律によれば、金と銀との価値の比は1対2.5だったという。銀のほうが金よりも高価なので、わざわざ金に銀めっきを施した装飾品も存在していた。
その後、鉱石から銀を取り出す技術の向上に伴い、銀鉱石からの生産が増加。結果、銀の価値は金に比べ低いものとなった。