Chaco Canyon New Mexico Pueblo Native American City
pueblo bonito
pueblo bonito, Threatening Rock Chaco Canyon, New Mexico
先住民の世界 「最初のアメリカ人」 より
合衆国誕生よりもはるか前、北米の地には先住民たちのダイナミックな世界が展開していた。むろん以下にふれるように、彼らも長い旅路の果てに、アメリカ大陸にたどり着いた人々であった。ヨーロッパ人との接触以前の彼らの姿を描くことから、本章の記述を始めたい。
かりに紀元前1万年を起点とすれば、コロンブス第1次航海の15世紀末に至るまで、アメリカ大陸の人類の歴史のおよそ95%は、彼らアメリカ先住民の歴史となる。したがって、その長い歴史のなかで、この広大な大陸の各地に生起したさまざまな先住民文化――今日の視点から名づけられた名称も多い――は複雑な様相を呈しているが、以下では可能な限り網羅的かつ簡潔に見てゆきたい。
およそ20万年前にアフリカで誕生した現生人類の一群は、やがて東方、アジア方面へと移動し、シベリアへ到達する。2万数千ー1万年前には氷期で水位が下がり、彼らの眼前に約1600キロメートルに及ぶ広大な陸地が出現していた。新旧両大陸を結ぶベーリング陸橋(ベーリンジア)である。アメリカ先住民の祖先たる彼らモンゴロイドは、およそ1万数千年前にこの陸橋を渡り、現在のカナダ西部において氷に遮られない無氷回廊を抜けるなどして、紀元前9000年頃には南米大陸の南端にまで達していたと推測される。一方、氷期の終焉とともに水位が上がって陸橋が水没すると、新旧両大陸は互いに閉ざされてしまう。かくして北米大陸では、いわゆるパレオ・インディアン(古インディアン)の狩猟文化が展開することになる。
このパレオ・インディアン期は、マンモスなどの大型動物を狩るための石器(尖頭部)を特徴とし、およそ紀元前1万1000ー前1万年にはクローヴィス文化、前9500ー前8000年にはフォルサム文化が栄えた(クローヴィス文化以前の人類とされる痕跡もみつかっており、彼らはカナダの太平洋沿岸沿いに南下した可能性がある)。
クローヴィス文化では遠方から獲物の性格に狙うために投槍器が用いられ、槍の先に付けられた尖頭部は大西洋岸も含めて全米に広く分布している、この分布状況に加えて、ヨーロッパの尖頭部との類似性から、近年では彼らの起源をヨーロッパに求める向きも、一部にあり、遺伝子の型がその主張を裏付けているともされるが、最新の研究では否定的な結果が出ており、出目をべーリンジア経由とする従来の説は揺るがないと考えられる。
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一方、北米南西部に目を向ければ、そこには特徴的な土器やバスケットの製作で知られる農耕文化が花開いていた。モゴヨン文化、ホホムカ文化、アナサジ文化(先プエブロ)文化である。
そもそも北米における土器は紀元前2500年頃に出現しているが、当初は農耕を伴っておらず、農耕の進展とともに実用品としても交易品としてもその重要度を増した。前述のコチース文化からいくつかの段階を経て発展し、紀元前後にニューメキシコ州南部などの山岳地帯におこったモゴヨン文化の人々は、3世紀に入ると土器製作を開始し、10世紀初めには北方に隣接するアナサジ文化の影響も受けつつ白黒の彩色土器、ミンブレス土器を作るようになったが、12世紀初頭までに衰退した。やはり紀元前後からアリゾナ州南部の砂漠地帯で土器製作を始めたホホムカ文化の人々は、トウモロコシに加えて綿花も栽培し、総延長が何マイルにも及ぶ灌漑用の水路を建設した。しかし干ばつ等の影響もあって、14世紀末までに衰えている。
穀物等を入れる籠細工の製作を特徴とする時期、バスケット・メーカー期を経て、5世紀頃、現在のアリゾナ、ニューメキシコ、コロラド、ユタの4州が交わる地点(フォーコーナーズ)を中心に先プエブロの人々によって形成されたアナサジ文化は、白地に黒の文様を描く土器製作で知られる。彼らはプエブロと呼ばれる集団家屋に居住し、半地下の円形施設、キヴァで宗教儀式をおこない、ターコイズ(トルコ石)などを用いた交易にも広く従事した。10世紀以降は、一部が4階建ての半円形巨大習合住宅・祭祀センターのプエブロ・ボニートや、外敵から身を守るために断崖の窪みに住居メサ・ベルデなどを建築している。