じじぃの「歴史・思想_11_世界史大図鑑・ヴォルテール(フランスの哲学者)」

L'Encyclopedie de Diderot et d'Alembert

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B333warhGtM

L'Encyclopedie de Diderot et d'Alembert

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

全地球上に散らばっているすべての知識を集積する ディドロが百科全書を刊行(1751年)

18世紀半ば、フランスの哲学者ドゥニ・ディドロは自国の一流の知識人である文学者や科学者や哲学者に対して、大規模な「科学、技術、工芸の体系的辞典」の各記事の執筆を依頼し、当人は記事を書くとともに編纂責任者をつとめた。1751年に第1巻が刊行され、本編17巻と図版11巻に及ぶ全巻の出版が終ったのは21年後だった。

ヴォルテール より

ヴォルテールというみずからつけたペンネームで知られるフランソワ=マリー・アルエは、啓蒙主義の考えを持つ偉大な著作家であると同時に社会活動家で、その機知と知性が広く知られていた。1694年におありで生まれ、複数の言語を操って多方面へ旅をしたが、長い人生の大半をパリで暮らした。非常に多作の書き手で、小説、戯曲、詩、随筆、歴史書哲学書、そして数えきれないほどの小冊子など、あらゆる文学分野で作品を残している。
また、社会変革の擁護者として、市民の自由や信仰・言論の自由を支持し、政治的・宗教的権力の偽善について批判した。こうした活動のせいで、いくつかの著作が検閲の対象となり、ヴォルテール自身も投獄処分を受けたり、イギリスで亡命生活を送ったりした。亡命後に、みずからの体験を土台として、世に大きな影響を与えた著書『哲学書簡』を発表し、またスイスのジュネーブ滞在時には代表作である哲学小説『カンディード』を執筆した。

思想の変革 より

『百科全書』編纂の目的は、西洋諸国の知識全体を集積し、啓蒙主義の観点から整理することだった。啓蒙主義は1715年ごろにフランスに根づいた多角的な思想運動で、現代的な科学思想や哲学的思考を持った前世紀の先人たちの歩みを土台としたものである。項目数が約7万2000にものぼったこの『百科全書』は多くの専門分野を網羅していて、著作家で哲学者のヴォルテールをはじめ、ジャン=ジャック・ルソーモンテスキューなど、フランスを代表する啓蒙主義の思想家の考えや理論の枠を集めたものとなった。
解説の対象はきわめて多岐にわたったが、重点が置かれていたのは、カトリック教会の信仰や教義ではなく合理的思考を社会の礎とする必要を説くこと、科学において観察と実験を重んじること、自然法と正義に基づいた国家のあり方や統治手法を探求することの3つだった。
ディドロは『百科全書』の項目を大きく3つに分類した。記憶(歴史にまつわる項目)、理性(哲学にまつわる項目)、想像(芸術にまつわる項目)である。大きな論争を呼んだのは、神すなわち造物主にまつわる項目を個別に設けず、宗教を妖術や迷信などと同様に哲学の1項目として扱った点だった。こうした姿勢は画期的で多くの批判を招いた。はるか昔から、宗教はヨーロッパの生活や思想におけるまさに中心的存在だったが、『百科全書』と啓蒙主義はそうした位置づけを完全に否定した。
検閲や編者に対する圧力や強迫が当局によっておこなわれたが、出版された『百科全書』は広く活用され、多大な影響力を持つ辞典となった。また、辞典によって広まった思想は、18世紀末にフランスやアメリカで起った革命へと人々を駆り立てていった。

平等と自由 より

人々は科学革命や啓蒙主義によって、理性を用いれば人間にまつわる自然法を解明できるという思いも強く持つようになった。啓蒙主義の思想家は宗教を根拠とした事実を認めなかった。また、宗教と政治は切り離すべきであり、そのどちらも個人の権利を損なってはならず、だれもが自由に意見を表明し、好きな信仰を選び、読みたいものを読む権利を有していると考えた。しばしば自由主義と呼ばれるこの政治理念は、17世紀の哲学者である自由主義の父、イギリスのジョン・ロックなどの考えに由来する。ロックの主張は、人間は生まれながらにある種の権利を持っていて、それは法律や慣習に左右されないというものだった。言い換えれば、そのような権利は、教会や君主が定める法令とは完全に別個の存在だということである。その具体的な形はさまざまだが、そこには生存権自由権、そして自分が生産したものを所有する権利が含まれた。ロックはこのような自然権をあらゆる統治システムの基礎とすべきだと考えていて、つづいた啓蒙主義者のあいだでも中心的な思想となった。