じじぃの「人の死にざま_1634_ホワイトヘッド(哲学者)」

principle of mathematical induction.mov 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VvM1FIJeklY
ルフレッド・ノース・ホワイトヘッド ウィキペディアWikipedia) より
ルフレッド・ノース・ホワイトヘッド (Alfred North Whitehead、1861年2月15日 - 1947年12月30日)は、イギリスの数学者、哲学者である。論理学、科学哲学、数学、高等教育論、宗教哲学などに功績を残す。ケンブリッジ大学、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン、インペリアル・カレッジ・ロンドン、ハーバード大学の各大学において、教鞭をとる。哲学者としての彼の業績は、ハーバード大学に招聘されてからが主体であり、その時既に63歳であった。
バートランド・ラッセルとの共著『プリンキピア・マテマティカ』(Principia Mathematica、『数学原理』)はよく知られている。ホワイトヘッドの哲学としては、世界をモノではなく、一連の生起(occasion、これを彼は「現実的存在」actual entityあるいは「現実的生起」actual occasionと称する)つまり、過程として捉える特徴がある。この哲学は、プロセス哲学として知られておる。

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『21世紀への遺書』 三石巌/著 立風書房 1994年発行
19、20世紀、現代の幕開け (一部抜粋しています)
イギリスに芽生えた啓蒙思想は、ボルテールによってフランスに花を開き、ついでカントによってドイツに移植されたのである。啓蒙運動は自然科学をはじめ、自然権自然法などを拡めた。この運動によってフランスには、百科全書の刊行があり、大革命があった。
英独仏、ヨーロッパでは3つの国が並べて呼ばれることがある。これは、啓蒙思想の洗礼を特に強く受けた3つの国を意味する。
18世紀の啓蒙の時代は、日本でいえば徳川時代にあたる。この国ではだれひとり、力学も物理学も自然権自然法も知らなかった。イギリスの一哲学者は、日本人や中国人はローマ人に似ているといった。それは、彼らが知よりも実利に走ったことを指す。明治の文明開化まで、わが国には学問も人権思想もなかった。
西欧では、啓蒙思想が19世紀の文化を生んだ。その19世紀は18世紀の知の上に立っているようにみえる。その段階を経て時代区分上の「現代」の幕が開き、そして当然の成行きとして、科学の世紀がやってきたのであった。20世紀が科学の功罪を問われる時代となったのは、必然としてよいだろう。
啓蒙思想は、合理主義思想の性格をもっている。したがって、聖と俗との上下関係において、聖の位置にゆさぶりをかけることとなった。神の合理化がはかられることにもなった。「理神論」の提唱がその1つである。
この革命的状況の本質は、神の前における人間の復権である。そこには、神の合理化のレベルを超える哲学の発展があった。
歴史家は、ヘーゲル哲学の解体を現代の幕開けとするようである。ヘーゲル(1770〜1831)の死後、その学派は左右に分裂した。そしてヘーゲル左派は聖書を虚構としてキリスト教信仰を否定した。一方、一神論は汎神論へ、さらに唯物論へと傾斜していった。フォイエルバハ(1804〜1872)は、人間の本質を抽象化し対象化したものを神とする。マルクス(1818〜1883)は、精神を物質の所産とした。そして、ニーチェ(1844〜1900)はついに、神は死んだと宣言する。
ホワイトヘッド(1861〜1947)は、「万学の基礎は一般数学である」といった。ここにいう万学は科学の全領域というほどの意味である。一般数学とは、中学や高校などで扱われる代数や微積分を指すと思ってよい。代数でも微積分でも、方程式を立ててある問題を解くとき、幾つかの数式が順次にでてきる。このとき、隣り合う2つの指揮に含まれる記号には、必ず、共通なものが存在する。このことは、2つの命題(式)が論理的に相関しているための条件である。
ここに挙げたような数学上の演算は、厳格に論理的な過程を示す。そして、2つの命題が論理的な相関をもつための必要条件は、両者に共通な記号が見出されることである。友人に何かの命題を投げかけられたとき、「それは私の命題の記号とは関係がない」といって答えなかったウィトゲンシュタイン(1889〜1951)の逸話もよくわかる。