じじぃの「科学・芸術_840_令和・うるわしき大和」

万葉集 「梅の花の歌の序」

文藝春秋 2019年6月号』

令和とは「うるわしき大和」のことです 【執筆者】国文学者 中西進 より

元号とは何か。元号とは文化です。西暦はキリストの生誕年から始まっているとはいえ、やはりカレンダーとしては断然便利。元号はその点、不便さもある。でも日本人はそれを使い続けてきました。
つまり日本で連綿として受け継がれてきた文化であって、本来、国や役人が定めるものではありません。元号は本来、天が決めるものなのです。
天の命令を受けるのは天子です。日本の天子は天皇で、天を祀ります。その天子が、自分では手の回らない仕事の役の代わりを頼んだのが役人で、役人が組織したものが内閣です。天子が天を祀るときにひらめいたものを元号に落とし込むわけですから、考案者が名乗り出ることはありえないのです。
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万葉集』という国書(日本人が著作した古典)を典拠とすることにこだわったのは、非常に良かったと思います。元号制定は社会現象であり、お祝いなのです。私が開設した万葉集の本にも「祝・令和」という新しい帯が巻かれ、さきほど手許に届きました。
文化である元号を大切にするのは、日本人のおしゃれ心です。実質的な意義は乏しくても、特色のある名前を付けたいと思うのは人間の好奇心があるから。恋人に手紙を書くとき、日付をどのように書きますか? 西暦で書いたら味気ない。それではあなたの恋心は届きません。和暦で書くというおしゃれな心があってこそ、心が届くのです。
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「令和」の典拠とされた『万葉集』巻五の「梅の花の序」で、大伴旅人は宴の様子を綴っています。邸宅に配下の役人たちを招き、1本の梅の木を中心に、みなで歌を詠む宴を催したのです。
梅の花の歌の序」には、
 「初春の令月(れいげつ)にして、
  気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、
  梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、
  蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」
とあります。
現代語訳をすると、「時あたかも新春の好(よ)き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」となります。宴の和やかさが目に浮かぶようです。
「初春の令月」はいつのことを指すのでしょうか。中国では「令月」が指すのは2月です。ところが旅人が言う「初春の令月」のほうは“麗しい1月”です。中国では1月はまだ寒いですが、日本では暖かい陽気になれば、1月でも2月でも3月でも令月と言いました。中国のように1対1で対応させるのではなく、解釈に幅があります。日本緒文化には「アバウトにするのがおしゃれ」という感覚があるのです。
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「令和」は『万葉集』という国書が典拠と発表されました。そのとき、「梅の花の序」には中国の古典の影響があり、純粋に国書を典拠としたとは言えないと批判した人がいました。まるで国書か漢籍かと論争が始まりそうな気配でした。しかし私から言わせると、オリンピックや世界選手権でもないのに、どうして国書vs.漢籍と競い合わなければならないのでしょうか。
誰がどう見ても、日本は中国から大きな文化的影響を受けてきた国です。わたしは比較文学の研究を長く続けてきました。比較文学という名のついた本を日本で初めて出した学者は中西という人間です。そのときの中西は、元号の考案者として疑いをかけられている中西なのかわかりませんが、生身の私は長いこと比較文学をずっと生業としてきました。
研究を重ねて来て至った結論は、日本の文化の特色とは、外国の進んだ文化、よい文化を自分に取り込むことが得意だということです。