じじぃの「科学・芸術_815_世界の文書・世界最初の写真」

世界初の人物写真

『図説 世界を変えた100の文書(ドキュメント):易経からウィキリークスまで』

スコット・クリスチャンソン/著、松田和也/訳 創元社 2018年発行

世界最初の写真 (1826年) より

才気換発なフランスの発明家が、10年以上に及ぶ艱難辛苦の末、「ヘリオグラフ」と名付けた手法によって生き写しの画像を永続的な記録に捉える方法を発明した。現存する彼の最古の作品は工房の窓から外の風景を写したもので、世界最初の写真画像とされている。

ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(1765-1833)は独創的なフランスの発明家で、さまざまな驚くべき機械装置を発明した。例えばピレオロフォール(世界初の内燃機関)、水力機関である水汲み用の「マルリの機械」、そして愉快な速歩機(初期の自転車)などである。長年に亘る彼の趣味は太陽光線を捕えたいという夢と、当時世に出たばかりの石版芸術の技法を発展させたいという願いに集中していた。彼は芸術家ではなかったが、このような研究はもしも上手く行けば大きな商業的潜在力を秘めていると考えていた。
1816年4月、彼は暗箱(カメラ・オプスクラ)を用いて小さな画像を塩化銀を塗布した紙の上に捉えようと試みた。わくわくする実験だったが、結果は奇妙なものとなった。本来ならば最も明るくなるはずの部分が最も暗くなり、暗い部分が明るくなったのだ――現在のわれわれの言う陰画(ネガ)である――そしてその像はすぐに消えてしまった。他の感光性の素材や手法を変えながら数えきれぬほど実験を重ねた末に、1822年、彼は銅版画を「ユデアの土瀝青」を塗布したガラス板の上に置いて複製することに成功した。その達成は至って初歩的なものに過ぎなかったが。
4年後のとある陽光溢るる春の日、シャロン=シュル=ソーヌの田舎屋敷ル・グラで、ニエプスは8時間に及ぶ実験を行なった。用いたのは、白目板の上に像と捉えるためにパリの眼鏡屋シャルル・シュヴァリエに造らせた特製のカメラである。綿棒を用いてその板に「ユデアの土瀝青」の乳剤を塗布した。この皮膜をラヴェンダー油で洗浄すると、明るく照らされた部分が硬化するが、暗い部分はラヴェンダー油と白色ワセリン(テルペンチン)の溶剤で被膜が洗い落とされる。その結果、光が土瀝青によって、暗い影は露出した白目として定着し、恒久的な陽画となる。
この時、白目の上に残されたのは、彼の高い工房の窓から見た景色の像だった。左側に鳩小屋があり、梨の木の背後に枝越しの空が見える。中心には納屋の傾斜した屋根がはっきりと見え、右手にはもうひとつの家の袖が見える。
ニエプスはこれを大発明だと確信し、この発明を「ヘリグラフ(太陽で描かれたもの)」と名付けた。だが、それで金儲けすることはできなかった。1833年に彼が死ぬと、彼の手記は仲間のルイ=ジャック=マンデ・ダゲール(1787-1851)の手に渡った。銀板写真法(ダゲレオタイプ)の創始者である彼が、そこにさらなる改良を加えた。1839年、この新たな芸術は「写真(フォトグラフ)」と呼ばれるようになった。
一方、ニエプスの1826年の画像の原本は1952年に再発見され、歴史家ヘルムート・ゲルンスハイムはニエプスこそ写真の発明者であり、『ル・グラ窓外の光景』は現存する最古の写真と認定した。その原板はオーステインのテキサス大学のランソム・センターにある。