大人の引きこもり
(otocomigaki.seesaa.net HPより)
『知識人99人の死に方』
荒俣宏/監修 角川文庫 2000年発行
井伏鱒二(1898-1993) 95歳で死亡 より
広島県福山の生まれ。福山中学卒業後、早稲田大学仏文科に進み小説を書きだす。日本美術学校にも進学したが両校とも大正12年に退学した。
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井伏といえば太宰治との交流が有名だが、その太宰がパピナールの中毒で苦しんでいたときに「僕の一生のお願いだから、どうか入院してくれ。命がなくなると、小説が書けなくなるぞ。怖ろしいことだぞ」と言ったことが「太宰治のこと」[文芸春秋S23・8]に出てくる。
「命がなくなること」は「小説が書けなくなる」「怖ろしいこと」だという認識は、書くことが好きで、90歳を過ぎてからも、「練習、練習」と原稿用紙に向かう日々を続けた井伏らしいものであった。
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生まれ変わるためのリボーン・ノート より
本音を文章で書きとめることが、どうしてそれほど重要なのでしょうか。
人は言葉を受け止めてくれる他者を必要としています。その言葉とは建前をいっさい排した本音です。人間関係がSNSのつながりだけという人が、不安や孤独感を抱えてしまうのは、本音を受け止めてくれる人がいないからです。
SNSはその人の生(なま)の言葉、本音をつづるメディアではありません。SNSで本音を暴露するような行為は嫌われます。よって言葉の表現は抑制的になりがちです。
リタイアして人づきあいが途絶えた人も同じように、本音のやりとりをする機会がありません。夫婦2人の暮らしでも、会話が途絶えた関係ならば同じでしょう。家の外に日常的に人間関係が築けていない孤立した家庭なら、閉塞感はいっそう高まります。
こうした場合、閉塞感を打ち破る最良の方法はペンを使って文字をつづることです。その言葉は紙が受け止めてくれます。
物言わぬ紙がなぜ、人の言葉とそこにこめられた気持ちを受け止めてくれるのか。
アンネ・フランクは「親愛なるキティー」で始まる有名な『アンネの日記』を、2年間の潜伏生活のなかで書き続けました。中身は母親への非難、性的な関心などの親しい友に向けてしか言えないような本音が含まれたものです。
彼女の場合、親しい友はキティーと名づけられた日記帳でした。
なぜ多感な育ち盛りの少女が、狭い隠れ家で2年間も息をひそめて暮らすことができたのか。なぜ過酷な状況で精神を平常に保ち、家族や人間社会について冷静に思索できたのか。
いうまでもなくキティーとの対話があったからです。物言わぬ空想の友、日記帳のキティーと話ができたからにほかなりません。
書くことは頭を使います。それは、書いた言葉をすぐさま吟味し、つぎの言葉につなげるという思考の作業だからです。冷静に考えなければ文章は書けない。
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どうでもいい、じじぃの日記。
「命がなくなると、小説が書けなくなるぞ」
書くことは、1人でいることが多く他人に言葉を発する機会が少ない人ほど必要な、自己との対話になります。
孤独は書くことで救われる、のだそうです。