じじぃの「科学・芸術_724_世界の文書・アンネ・フランクの日記」

Anne Frank’s Diary

『図説 世界を変えた100の文書(ドキュメント):易経からウィキリークスまで』 スコット・クリスチャンソン/著、松田和也/訳 創元社 2018年発行
アンネ・フランクの日記 (1942 - 44年) より
家族と共に屋根裏部屋に身を隠すユダヤ人の若い少女が、心の奥底にある考えを日記に記した。それはホロコースト期における最も有名な生活記録となり、何百万もの人が読むところとなった。
アンネ・フランク(1929 - 44)はユダヤ系ドイツ人のティーンエイジャーで、ホロコースト期のナチ占領下のアムステルダムで身を隠すことを余儀なくされた。13歳の誕生日に日記帳を買った直後、1942年6月14日からこの少女は日記を付け始め、家族や他の4人の逃亡者と共に身を隠している間、自らの印象を書き続けた。彼らは父のオフィスビルの本棚の裏にある秘密の屋根裏部屋に匿(かくま)われていた。
若い少女の日記は何人かの空想上の友人への手紙という形式で綴られており、また仲間の逃亡者たちの身元を隠すために偽名が用いられている。通常のティーンエイジャーがそうであるように、アンネは家族についての葛藤や仄かな恋愛に悩み、また人生に対する思索を深めていく。だがその異常なまでに深遠かつ洗練された文学的能力は、このような逆境を前にした楽天主義と結びつき、その日記を文学的・歴史的至宝にしている。
「実際自分でも不思議なのは私がいまだに理想の全てを棄て去っていないという事実です」と彼女は逮捕直前に書いている――
  だってどれもあまりにも現実離れしていて、とうてい実現しそうもない理想ですから。にも関わらず、私はそれを持ち続けています。何故なら、今でも信じているからです――たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり、善なのだということを。……この世界が徐々に荒廃した原野と化して行くのを、私は目のあたりに見ています。常に雷鳴が近づいて来るのを、私たちをも滅ぼし去るだろう雷の接近を耳にしています。幾百万の人々の苦しみをも感じることができます。でも、それでいてなお、顔を上げて天を仰ぎ見る時、私は思うのです――いつかはすべてが正常に復し、今のこういう非道な出来事にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界が戻って来るだろう、と。
アンネは2年と1ヵ月の間、隠れ家に潜んでいたが、そのグループが密告されて収容所に送られた。屋根裏部屋にいた8人の内、生き延びたのは父親だけだった。アンネは1945年3月、ベルゼン=ベルゼンでチフスに斃れた。15歳だった。
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この日記は1947年に初めてアムステルダムで出版され、続いて合衆国と連合王国で1952年、『アンネ・フランク――若い少女の日記』として出版された。その圧倒的な人気のため、演劇化や映画化もされて賞も取った。今日まで、同書は67の言語に訳され、3000万部以上を売り上げている。
その原稿はオランダ国立戦時資料研究所に寄贈されている。