じじぃの「科学・芸術_795_五味彬『YELLOWS』」

五味彬 『YELLOWS』

『これからの本の話をしよう』

萩野正昭/著 晶文社 2019年発行

どうして小さい者が団結できない より

最後まで連合を維持しつづけようと主張したのは、デジタローグとボイジャーだった。デジタローグを率いた江並直美は将来を将来を頭に入れて、短期的に判断してはダメだと主張した。「損して得をとれ」の論理を説得しようとした存在だった。
江並直美は書籍デザインのアートディレクターであり、当時隆盛だった大手の雑誌をいくつも仕事として担当していた。そのこともあってか、彼には強い収入の基盤があった。この余裕が彼に先を見る姿勢を与えたのだと思う。現状よりも将来を見据える心の余裕だった。
ボイジャーは反対に何もなかった。だから誰かを支えにすがるしかなく、連合を頼りに生き延びていこうという気持ちだった。
アジタローグはいわば余裕から将来を見ていく立場であり、ボイジャーは何であろうと存るものに寄り添って今を生きる極貧という両極端の存在だった。立場として正反対の2社のインディーズが連合を維持して、ともに闘いに挑む方向をとることになった。
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2つの会社が一緒に営業をすることで、販売面での効率化を考えた。つくるのは別々でも、できあがった作品を売るのは一緒だ。小さいインディーズの排他的営業活動という茶番を繰り返してきたきた半生の気持ちを、あとあとまで持っていたからだ。
ところが2社のめざしたすべてが中断した。2002年、江並直美は脳出血で倒れてしまった。それは突然やってきた。重度のものだった。話しかけても明確な返事をくれる状態ではなかった。

江並直美が率いたデジタローグの代表作は、五味彬の『YELLOWS』という写真集のデジタル出版だった。

この名前を聞けば思い出す人も多いのではないか。今ではヘアヌードというものが当たり前のようになっているが、このきっかけをつくったのは『YELLOWS』だったし、それがデジタル出版で切り開かれたものだった。
もともとは、紙の出版物として企画されながら発売直前でストップがかかり、掲載予定の月刊誌は1991年1月15日に一切が断裁された。その結果、わずかのリスクで発刊できるデジタルでの出版メリットを考え、無理な説得に時間と労力を費やすより「自分でやってみよう」となっていった。それがデジタローグ自身による出版のはじまりだった。
デジタル出版の写真集には、紙媒体とは比較にならない大量の写真点数を収めることができた。音楽とか仕掛けとかが一切ない、ただ裸体が数多く収録された写真集。これを理解できる人間がはたしているだろうかという疑問はあった。けれど、「自分でやってみよう」の道が実感できたことも確かだった。