Napoleon & the Jews ・ By Rabbi YY Jacobson
Napoleon and the Jews
イスラム世界からヨーロッパへ より
本書では便宜的に、イスラム世界の出現をもって中世の始まりとする。中世においてユダヤ人はイスラム世界に組み込まれることで、バビロニアを中心にユダヤ史のなかでも類をみない繁栄を享受することになる。とくに学問の隆盛と交易での活躍が目立つ。私たちの歴史認識からすっぽりと抜けてしまっているのが、この中世のイスラム世界におけるユダヤ人とユダヤ教である。その欠落を補うことも本書の重要なテーマである。
イスラム世界ではアラビア語による法学が学問の中心となった。それが、ユダヤ人の方角を一層発展させる。アッバス朝時代(750ー1258)にはバビロニアの2つのイェシヴァ(スーラとブンペディーダ)の権威が、イスラム世界におけるユダヤ社会全体を覆うまでになった。
国民国家のなかで より
ユダヤ人とキリスト教徒が経済的な利害関係を超えて人間的な交流を取り結ぶには、宗教的な所属の違いはなおも大きな障害であった。しかし、西欧の啓蒙思想が異なる宗派のキリスト教徒同士の寛容精神を育成するのに伴って、ユダヤ人の信仰に対する寛容の機運も高まっていく。その突破口を開いた人物が、モーゼス・メンデルスゾーン(1729-86)である。
ドイツ北東部デッサウ出身のメンデルスゾーンは、師匠のラビを追ってベルリンにやってくると、独学でヨーロッパの言語と学問を修得し、「ドイツ人ソクラテス」の異名を得て知識人との交わりも果した。そして彼は、ドイツに住むユダヤ人がユダヤ教徒のままドイツ市民になる社会を実現するため、ユダヤ社会の中でさまざまな改革を試みていく。こうした一連の改革は、ユダヤ啓蒙主義(ハスカラー)運動と呼ばれる。その代表的な試みが、ドイツのユダヤ人たちのためにドイツ語訳の聖書を出版することだった。メンデルスゾーン自らが翻訳した聖書は、ドイツ語がヘブライ文字で表記され、ビウルとうヘブライ語の注解が付されている。当時のドイツのユダヤ社会でヘブライ文学とイディッシュ語(ドイツ語から派生した言語)の文化が生きていたことがわかる。
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メンデルスゾーンが没したのはフランス革命の3年前であった。彼の思想に共鳴したドイツの官僚クリスティアン・ドームは、ユダヤ人に対するドイツ人の偏見に果敢に挑戦する論文を書き上げた。その思想がフランス革命の指導者に受け継がれる。フランスの人権宣言はユダヤ人も対象とされ、革命議会においてユダヤ人への市民権付与が決定された。近代国家の設立に伴って、ユダヤ人も同等の権利をもつフランス国民の一員となったのである。
これがユダヤ人たちにとっていかに衝撃的なことであったか。それは、ユダヤ人への迫害の歴史を思えば理解できるであろう。ユダヤ人に対する偏見は容易には改善しなかったが、後に、ナポレオンが、ユダヤ教の政経分離を要請するべくヨーロッパ全域からラビを召集したとき、ラビたちはナポレオンを「神に選ばれた人」として称賛した。信教の自由を認めながら、市民権を与えたことに賛辞を贈ったのである。
このときからユダヤ教は、トーラー(モーセ5書)のうち神と人との関係を律する宗教的戒律を要素とする、近代憲法がいうところの「宗教」に変わったといえるだろう。