じじぃの「科学・芸術_790_ユダヤ教・中世のユダヤ人」

Jews in the Islamic map

ユダヤ人とユダヤ教

 市川裕/著 岩波新書 2018年発行

イスラム世界からヨーロッパへ より

本書では便宜的に、イスラム世界の出現をもって中世の始まりとする。中世においてユダヤ人はイスラム世界に組み込まれることで、バビロニアを中心にユダヤ史のなかでも類をみない繁栄を享受することになる。とくに学問の隆盛と交易での活躍が目立つ。私たちの歴史認識からすっぽりと抜けてしまっているのが、この中世のイスラム世界におけるユダヤ人とユダヤ教である。その欠落を補うことも本書の重要なテーマである。
イスラム世界ではアラビア語による法学が学問の中心となった。それが、ユダヤ人の方角を一層発展させる。アッバス朝時代(750ー1258)にはバビロニアの2つのイェシヴァ(スーラとブンペディーダ)の権威が、イスラム世界におけるユダヤ社会全体を覆うまでになった。
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中世という時代を理解するうえで重要なことは、先進地域と後進地域を意識することである。イスラムが急速に征服していった地域は、ギリシャやローマなど、古くから文明の栄えた先進地域であった。イスラム世界はそれらの地域を領土として吸収しつつ文化を洗練させていく。
地中海東岸に住む多くのユダヤ人もイスラムによる支配の影響を直接受けることになったが、その一方でイスラムに対しても影響を与えた。ユダヤ教イスラム教はともに中東を発祥の地とする宗教で、唯一神とその預言者を信仰する宗教共同体として独特な宗教集団を形成した。「セム的一神教」という総称もあるように、ユダヤ教イスラム教の類似性は高い。
イスラム教がイスラム法(シャリ―ア)を施行する社会であることはよく知られているものの、なぜそういう社会が生まれたのか、その要因はまだ解明されていない。ただし、シャリ―アの体制は、じつは、ユダヤ教のハラハー(いわゆるユダヤ啓示法「道」「歩み」を意味する)の体制と酷似している。その歴史的な因果関係は不明だが、ユダヤ教が同様の啓示法体系をもつイスラム世界で繁栄を享受したことには、しかるべき理由があると思われる。
イスラムの広がりとともに、ユダヤ人の人々は地中海地域へと進出し、北アフリカを通ってスペインへも移住していく。この過程は、ウマイヤ朝の勃興から始まるイスラム世界の版図拡大と軌を一にしている。

中世盛期には、ユダヤ人の9割がイスラム世界に住み、西欧キリスト教世界に住むユダヤ人はいまだごくわずかであった。

われわれの中世ユダヤ人に対するイメージが「流浪と迫害」「貧しく賤しい金貸し」であるとすれば、それは西欧キリスト教世界でのユダヤ人に対するイメージである。ごく限られたイメージを無批判に受け入れ、大多数を占めるイスラム世界ユダヤ人にまで広げてはならない。中世の一神教世界に対する公平な見方と、東西の宗教文化の違いへの認識が必要である。
ユダヤも含めた最大の特徴は、宗教が人間のアイデンティティを決定したことである。この特徴は、西欧のキリスト教世界においても、中東のイスラム世界においても等しく妥当する。そのうえで2つに違いがあるとすれば、それは少数集団に対する対応の仕方であろう。
キリスト教世界では、正統的なキリスト教徒以外の少数集団は異端として徹底的に弾圧された。唯一の例外がユダヤ人である。彼らは異教徒であり異邦人であったが、キリスト教の真実を証しする存在として、特別の法規により統制下に置かれた。これに対して、イスラム世界においては「ウンマ(宗教共同体)」という統治理論のおかげで、ユダヤ人は「啓典の民(アハル・アル=キターブ」として認められていた。キリスト教諸派ユダヤ人は庇護民として生命と財産を保護され、それぞれの宗教的自治が許されたのである。