じじぃの「科学・芸術_135_エルサレム・嘆きの壁・岩のドーム」

トランプ 中東戦争 ユダヤ イスラエル エルサレム 池上彰 動画 YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=UBAeV20FvGY
The Third Temple & The Islamic Antichrist 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tNOlxoPWl48
嘆きの壁」と「岩のドーム」(左)

【証拠アリ】トランプ政権はユダヤ人とフリーメイソンに完全掌握されている! 世界の権力構造は全く変わらない事が判明! 2016.11.16 TOCANA
●トランプの娘・イヴァンカの正体
トランプとユダヤ人が“べったり”であることは、彼の長女イヴァンカ・トランプ(35)を見ればわかる。
そんなイヴァンカだが、実は“ユダヤ人”なのだ。正確には、ユダヤ系の大富豪であるジャレッド・クシュナー(35)と結婚したことを機に、ユダヤ教へと改宗した人物である。このトランプにとっては娘の夫、つまり義理の息子に当たるユダヤ人、ジャレッド・クシュナーとクシュナー家の面々が、今回の大統領選を全面的にバックアップしていたことも判明しているうえ、今後の政権運営に多大な影響力を発揮すると考えられているのだ。
http://tocana.jp/2016/11/post_11491_entry.html
イスラエルを知るための60章』 立山良司/著 赤石書店 2012年発行
宗教と政治の複雑な絡みあい (一部抜粋しています)
ディアスポラ(離散)状態にあったユダヤ人はかつて別れ際に「来年こそ、エルサレムで会いましょう」と挨拶を交わした。エルサレムに行きたいというかなうことのない願いを、別れの挨拶に込めたのである。ユダヤ人のエルサレムへの思慕の念は、紀元前6世紀に新バビロニアによる「バビロンの捕囚」の際に、囚われのユダヤ人がエルサレムを想って次のようにうたったことでも、よく知られている。
  エルサレム
  もしも、わたしがあなたを忘れるなら
  わたしの右手は萎えるがよい。
  わたしの舌は上顎にはり付くがよい
  もしも、あなたを思わぬときがあるなら
  もしも、エルサレム
  わたしの最大の喜びとしないなら。
             (新共同訳『旧約聖書』「詩篇」137篇)
ある聖地が複数の宗教の聖地になっていることは多い。エルサレムも例外ではない。ユダヤ教以前にもエルサレムには「いと高き神」が祭られていたと聖書には記してある。さらに聖書によれば紀元前1000年頃、ダビデエルサレムを都とし、息子のソロモンが神殿を作った。神殿そのものは新バビロニアによって破壊され、再建された第2神殿も紀元1世紀にローマによって破壊された。その第2神殿の石垣の一部とされているのが嘆きの壁(西壁)である。ローマによる破壊後、ユダヤ教は神殿をもたない宗教となったが「嘆きの壁」はユダヤ教の巡礼と祈りの場となった。ユダヤ教の祭日には、前の広場は祈りに来たユダヤ人でいっぱいになる。
エルサレムユダヤ教の改革を訴えたイエスが宗教活動を行い、十字架にかけられた場所でもあり、キリスト教にとっても最高の聖地だ。春の復活祭の頃には、イエスが十字架を背負って歩いたといわれる「悲しみの道」から聖墳墓教会にかけて、世界中からの巡礼者でごった返す。イスラム教にとっても聖地だ。ムハンマドは一夜、メッカから天馬でエルサレムに飛来し、「光のはしご」で天に上りアッラーに会ったといわれる。金と銀のドームをそれぞれいただく岩のドームとアル・アクサ・モスクは、古代ユダヤ教の神殿があったといわれる高台にあり、イスラエルは「神殿の丘」、パレスチナ側は「ハラム・アッシャリフ(高貴な聖域)」と呼んでいる。その高台を囲む石垣の一部が「嘆きの壁」だ。金曜礼拝時、高台は祈りをささげるイスラム教徒で埋め尽くされる。
1948年のイスラエルによる独立宣言直後から始まった第一次中東戦争の際、エルサレムをめぐって激しい攻防戦が繰り広げられた。イスラエルエルサレム新市街地(西エルサレム)を確保したが、旧市街地を含む東エルサレムはトランス・ヨルダン(現ヨルダン)の手に落ち、町は東西に分かれた。
エルサレムイスラエルが手にしたのは、1967年の第三次中東戦争だった。東エルサレムの占領(イスラエル側は「解放」と呼ぶ」直後、イスラエルは拡大したエルサレム市域全域にイスラエル法を適用する新法を制定した。さらに1980年には「基本法エルサレムイスラエルの首都」を制定し、「統一された完全なエルサレムイスラエル国の首都である」と規定した。こうした法的措置を背景にイスラエルは、東を含むエルサレム市全域は自分たちの永遠の首都であると主張し続けている。
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ただこれまでの交渉でも「神殿の丘(ハラム・アッシャリフ)}や「嘆きの壁」など宗教上、大変重要な場所の主権や統治をどうするかに関し、基本的な枠組みはできていない。それどころか近年、イスラエルパレスチナ間の和平交渉は完全に行き詰っている。
1つの町を分断できない以上、共有するしかない。しかし、エルサレムは宗教と政治があまりにも複雑に絡み合い、共存ではなく対立のシンボルとなっている。その結果、誰もが問題解決のための適切な解を見出せないでいる。