じじぃの「科学・芸術_782_アメリカ500年史・ヒッピー」

THE COCKETTES (Trailer)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QzJd4unMd4I

ヒッピー

ファンタジーランド(上) 狂気と幻想のアメリカ500年史』

カート・アンダーセン/著、山田美明、山田文/訳 東洋経済新報社 2019年発行

ヒッピー――60~70年代の若者文化 より

大衆が「ヒッピー」という言葉を口にし始めた1962年は、ビートルズが初めてのヒット曲を発表し、ケン・キージーが『カッコーの巣の上で』(邦訳は岩元巌訳、冨山房、1996年)を出版した年にあたる。ハーバード大学では、心理学教授ティモシー・リアリーが幻覚剤の効果の研究のため、シロシビンやLSDを学生に配布していた。その同じ年、スタンフォード大学の心理学部を卒業した若者2人(その1人は、ケルアックやギンズバーグの友人だった)が、ある協会を設立した。場所は、サンフランシスコから南へ3時間ほどのところにある、海岸沿いの崖が延々と絶景を形作っているビッグサーと呼ばれる場所である。彼らはその協会を、以前その地に住んでいた先住民の小部族にちなみ、「エサレン協会(1960年代に始まったヒューマン・ポテンシャル運動における最大規模の「成長センター」)」と名づけた。
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何もかもが急激に変化したことを考えれば、保守派の人々が驚きや困惑の反応を示したのも無理はない。マリファナの使用率の変遷を見れば、変化のスピードがいかに速かったかがわかる。たとえば1965年には、マリファナを吸ったことのあるアメリカ人は100万人にも満たなかった。それが1972年には2400万人に増えた。また1967年には、マリファナを吸ったことがあるアメリカの大学生は、わずか5%セントだった。ところが4年後には過半数に達し、3分の1が毎日ハイになっていたという。
私は20歳になったころ、ハイになっていないのに数回幻聴が聞こえたため、大麻を除く違法ドラッグの使用をやめた。薬物により頭がおかしくなるおそれがあることは、誰でも知っている。だが私は、ゾッとした経験を含め、若いころに薬物(特にLSD)を使用したことを後悔していない。大いに勉強になったし、精神に何の支障もなく人格形成期を過ごせた。何ごとも経験である。私が思うに、マリファナを吸い、LSDを飲み、キノコを食べることで、大きな刺激を受け、人生を改善できた人はかなりいるに違いない。スティーブン・ジョブズがいい例だ。
だがその一方で、向精神薬を突然、熱狂的に受け入れたことで、アメリカの「ファンタジーランド」化がいっそう助長されたのではないかと思う。幻覚剤はおろかマリファナでも、現実と幻想の境界があいまいになり、あらゆる妄想や空想的なつながりを現実だと思い込みやすくなる。現存するアメリカ人のうち3200万人が、幻覚剤を使用した経験がある。その人たちが幻想を信仰する宗教の信者だとすると、この国で2番目に大きな宗教団体となる。アメリカ人の大麻の生涯使用率は、北ヨーロッパよりも2~4倍高い。それだけ頻繁にドラッグが利用されていれば、それにより誘発される幻想は、ハイになっている数分間あるいは数時間を超え、普段の思考にまで浸み込んでいく。それは必ずしもプラスに働くとは限らない。
1960年代の同時代人によるドラッグ文化の目撃談としては、トム・ウルフの『クール・クールLSD交感テスト』(邦訳は飯田隆昭訳、太陽社、1996年)が有名だ。これは、ケン・キージーとその「愉快ないたずら者たち」によるLSDの冒険を描いている。ウルフはそれから8年後の1970年代半ば、それ以上に重大な時代の変化を記録にとどめた。アメリカという宇宙に吹き流れる主観性と快楽主義のビッグバンについて、『ニューヨーク』誌にエッセイを発表したのだ。その中で生み出された「ミー・ディケイド(自己中心主義の時代)」という言葉はいまだに、大仰な自己陶酔による自己改革が流行した1970年代を指す擁護として利用されている。ウルフは、そのエッセイの1万2000語の大半を自己発見セミナーやその類の説明に充てながらも、タイトルを「ミー・ディケイドと第3次大覚醒」としている。つまり、グリーリーやグッドマンが1969年に指摘していたように、この現象が過去と深いつながりがあることに注意を向けている。当時社会に広まっていたのは、アメリカ特有の源と前例を持つ、複雑かつ意識の狂乱状態なのである。
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実際、当時は大手の出版社やメディアまでが、幻想をノンフィクションとして宣伝・販売しようと躍起になっていた。1975年には、スプーン曲げや読心術を行う若き詐欺師、ユリ・ゲラーの自伝がベストセラーになった。同年にはそのほか、哲学の博士号を持つレイモンド・ムーディの著書『かいまみた死後の世界』(邦訳は中山善之訳、評論社、1989年)も話題となった。瀕死の状態に陥り、臨死体験をした数十名のエピソードを、死後の世界の直接的な証拠として紹介した本で、「これらの話が嘘だとはまったく考えられない」と断言している。この本が数百万部の売上を記録すると、間もなく国際臨死研究学会が発足し、その第1回会議がイェール大学で開催された。