じじぃの「科学・芸術_781_アメリカ500年史・黄金時代」

The Golden Years Of America (1960 documentary)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8VMwyAaTTIQ

ファンタジーランド(上) 狂気と幻想のアメリカ500年史』

カート・アンダーセン/著、山田美明、山田文/訳 東洋経済新報社 2019年発行

アメリカの黄金時代――まともに見えた1950年代 より

1950年代当時、アメリカ人はテレビや郊外のとりこになっていたが、それが、幻想にどっぷり浸かっている兆候のようには見えなかった。むしろ逆に、まじめな評論家は誰もが、アメリカの主導により、あらゆる方面で良識や合理性が勝利に向かって進んでいると考えていた。実際、国際連合が設立された。大学は急速に発展した。科学は確固たる地位を築き、遺伝情報は解読され、コンピューターやトランジスタが開発された。政府や大企業はおろか、主要宗派の教会までが、技術系出身の官僚や指導者により運営され。イデオロギーは過去の遺物となった。当時のある歴史・社会学者は言う。「アメリカの文化は、(中略)不合理を追放するという点では他を寄せつけない」。1947年には、自分が颯爽したヒーローになった夢の世界を生きる変わり者を風刺的に描いた映画『虹を掴む男』が、大ヒットを記録した。だが、アメリカ人はみな、知らないうちにこの映画のようになりつうあった。それは、郊外の牧歌的幻想の中で暮らし、テレビで無限に放送される幻想にどっぷり浸かる生活が、新たな標準になってしまったからだ。
1950年代は、画一的で、体制順応的で、整然としているように見えるが、そこから外れた異常な現実も新たに生まれている。当時の人々には、大して気にする必要もない奇妙なものや派手なものにしか見えなかったものが、後にアメリカの生活の主流を形成していくことになるのである。この時期に生まれ、最終的に「ファンタジーランド」の重要に土台となったものについて、詳しく見ていくことにしよう。具体的には、ラスベガス、『プレイボーイ』誌、ビート族、サイエントロジーマッカーシズム、復活した福音主義などである。これらの大半は、楽しい幻想を広めたが、中には恐ろしい幻想を広めたものもある。また、快楽主義的なものもあれば、快楽主義的ではないが反体制的で、締め出しや取り込みを図る体制派の標的にされたものもある。その中の1つ、快楽主義的で楽しい幻想を広めはするが、反体制とは縁もゆかりもないものがあった。それは、現実とフィクションの融合に身を捧げたP・T・バーナムやバッファロー・ビルに誘発され、想像上の小さな町とテレビを合成して作られた「山の上にある町」、すなわちディズニーランドである。
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私は、バイブル・ベルト(訳注:キリスト教信仰が篤いアメリカ南部および中西部一帯を指す)の北西の端で生まれ育ったため、当時知っていた人はほとんどが教会に通っていた。だが、私にイエスの話をする人は、間違いなく、一人もいなかった。1950年代、根本主義福音主義は公の場に出てきたは、それでもまだ物珍しい存在、取るに足りない偏屈者であり、それらがいずれ台頭してくるとは思えなかった。1950年代の終わりには、明らかに偏狭な宗教をばかにしたハリウッド映画が2本公開された。シンクレア・ルイスの小説を映画化した『エルマー・ガントリー』と、スコープス裁判を映画化した『風の遺産』(ブロードウェーの舞台劇の翻案で、クラレンス・ダロウをスペンサー・トレイシーが演じた)である。時代は、現代の世俗派の勝利を告げていた。体制派の人はみな、洗練されていない旧弊な宗教はついにアメリカから消えようとしていると思ったことだろう。プロテスタントの公的な信仰形態は、ほかの先進国と同じような道をたどり、近代的理性や科学、アメリカ的な楽観主義と仲よく共存できるような、控えめで、湾曲的で、不定形なものに変わっていくように見えた。1961年に『レッドブック』誌が、アメリカの主要なプロテスタント神学校で調査を行ったところ、イエスの再臨を期待している学生はわずか1パーセントだけだった。
こうして1960年代に入るころには、メインライン・プロテスタント(訳注:主流派を構成する穏健派とリベラル派のプロテスタントの総称)が絶対的な支配を確立した。当時は「メインライン」という言葉さえなかった。比較する相手がいなかったからだ。その言葉は、鉄道や電力の分野の専門用語であり、超自然的幻想を信じる小宗派を圧倒する権威ある大宗派を指す言葉ではなかった。メインラインは第二次世界大戦以来、信者を1.3倍に増やし、繁栄を謳歌していた。だが結局のところ、その時期がピークでもあった。