じじぃの「科学・芸術_774_現代中国・海外移民と亡命者」

哈金 (HA JIN)

自由生活(上・下)。ブック・ナビ評論家による自由生活(上・下)

「自由生活(原題:A Free Life)」は中国系アメリカ人作家の哈金(ハ・ジン)が、アメリカで生きるために苦闘する若い中国人一家の13年間を描いた長大な小説だ。
1956年、中国・遼寧省生まれの哈金は、文化大革命の時代に人民解放軍に入隊した後、文学に目覚め、除隊後は山東大学に学んで英米文学の博士号を得た。1985年にボストンの大学院に留学したが、1989年、天安門事件に遭遇してアメリカに留まることを決意する。その後、哈金は大学で英語文学を教えながら、英語で小説や詩を発表するようになった。
http://www.book-navi.com/book/jiyu_hajin.html

『現代中国を知るための52章【第6版】』

藤野彰/編著 赤石書店 2018年発行

海外移民と亡命者たち 改革・解放の風波のなかで越境する文学 より

「道不行、乗桴浮干海(道行われず、桴(いかだ)に乗りて海に浮ばん)」(論語)に示される通り、知識人の亡命は現代に始まったことではない。春秋戦国時代に生きた孔子は晩年までの14年間、自らの理想(仁や礼による統一国家)を認めてくれる君主を求め続けて諸国を巡歴したが、事実上の亡命に到った(司馬遷史記』など)。歴史的に見ると、海外移民は明清代に遡る(海禁の弛緩期)。近代には移民ラッシュが幾度か起きた。西洋列強の中国侵入とは逆方向の形で中国南部の余剰労働力が列強の植民地へ移動した。19世紀後半には大量の移民がゴールドラッシュの北米に向かい、また、欧州、オーストラリア、南アフリカなどへも広がり、在外中国人を意味する「華僑」「華人」という呼称が生まれた。
清朝の近代化に取り組んだ康有為は、1898年に戊戌の政変が起きると、香港を経由して日本に亡命し、各国を巡るなかで3度日本に滞在した。梁啓超日本大使館に保護され、亡命を果した。孫文は1895年に日清戦争で清が敗北すると、広州蜂起を企てたが、密告されたため、日本に亡命し、幾度か挙兵を試みつつ世界各地で遊説する間に十数回も日本を訪れ、滞在期間は延べ9年以上に及んだ。
1949年の中華人民共和国成立により、国民党系の中国人の多くが大陸から離散し、そのうち150~200万人が「洪水のように」台湾に流れ込み、大陸に帰れずに「外省人」となった。台湾の外省人作家龍應台は国家や戦争に呑み込まれ、”正史”の篩(ふるい)にかけられた人々の生身のポストメモリーを『大江大海一九四九』(邦訳『台湾海峡一九四九』白水社、2012年)で描き出した。
中国人民解放軍は1950年、チベットに侵攻し、その結果、1959年3月、ダライ・ラマ14世と数万人のチベット人ヒマラヤ山脈を越えてインドへ亡命した(チベット動乱)。以来約60年の歳月が流れたが、この間、毎年多くのチベット人が命がけで亡命政府のあるインド北部ダラムサラを目指し、今や世界全体で亡命チベット人は13万人以上を数えるまでになっている。新疆ウイグル自治区では1862年、北部のイリ・カザフ自治州で、中ソ関係の悪化や急進的な社会主義農業集団化のため、6万人のカザフ族がソ連のカザフ共和国に亡命した(イリ事件)。亡命者は延べ約19万人に上った。
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第2次移民潮は1989年6月4日の天安門事件血の日曜日)後の改革・解放の加速化によってもたらされ、学生の自費留学や研修生の渡航も急増した。天安門事件は亡命の大きな転換点になったと言える。学生リーダー、「黒幕」として指名手配された知識人、検問を通過させた人民解放軍兵士が、香港市民の会(支連会)やキリスト教会の集めた救援金を元に陳達鉦が指揮した「イエローバード作戦」により亡命した。台湾が密かに支援した「蛇頭」の密航ルートもあった。「中国のサハロフ」と呼ばれた宇宙物理学の方励之は北京の米国大使館に保護され、1年後に亡命した。ナチなどに迫害された学者を救援してきた米国の基金会などにより亡命できた学者もいる。
天安門事件以前に出国し、亡命に踏み切った者もいる。ノーベル賞作家の高行健(ガオ・シンジェン)はフランスで「血腥い弾圧」を非難するとともに、中国共産党を脱退し、「生きているうちに、再び専制政治のいわゆる祖国に戻ることはない」と表明し、真実こそ文学の根本であり、祖国も亡命も「超越」する立場で文学活動に取り組んでいる。また、作家の哈金(ハ ジン)は天安門事件に衝撃を受け、自分の尊厳を保ち、著述に忠実であることを英語により守ろうと、祖国を捨てて米国に留まることを決意し、大学で教鞭を執りつつ英語で執筆を続けている。自伝的小説『自由生活』(NHK出版、2010年)の主人公ウー・ナン(武男)は

「中国はもう自分の祖国じゃない。あの国はただ服従を要求するだけだ」

と語る。