じじぃの「天安門事件の真実・ネット閲覧を規制強化する中国!在外日本人」

China's Nobel laureate Liu Xiaobo dies 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ykrfqa90Vfs
ウィキリークスが明かす天安門事件の裏 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-0t-meS_J3I
最完整的坦克人Tank Man的 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=GRb4VY2dU4c&feature=related
ニューズウィーク日本版』 2014年6月4日号
●特集 天安門 「自信なき大国」中国の未来
天安門事件から25年。国内では民主派や少数民族を弾圧し、国外では領海問題で周辺諸国を威嚇する──アメリカに亡命した民主活動家が語る中国の「不安感」とその行く末。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/06/post-3283.php
天安門事件新事実 兵士の怒りを煽り、学生を虐殺=ウィキリークス 2011/09/29  大紀元
1989年に北京天安門で起きた学生の大量虐殺事件に参与していた兵士が当時、兵士が学生に殺害されたということを理由に中国共産党軍側が兵士らに下した学生への「無差別発砲」命令を受けて、1000人以上の学生を死亡させたことが、ウィキリークスが8月30日に公開した米外交公電に記されていた。
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/09/html/d45067.html
ワイドスクランブル (追加) 2017年7月13日 テレビ朝日
【司会】橋本大二郎大下容子 【コメンテーター】遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
習近平はなぜ、劉暁波氏のことを恐れているのか
中国当局の監視下で末期がんの治療を受けているノーベル平和賞を受賞した民主活動家の劉暁波氏とみられる新たな映像がインターネット上に投稿された。
遠藤誉、「中国共産党劉暁波氏のことを中国の法律を犯し有罪判決を受けた人物として処罰しているが、それだけではない。劉暁波氏は毛沢東日中戦争時代、日本軍と共謀していたということを知っていてそのことを暴露した。劉暁波氏は中国共産党が最も触れられたくない部分を知る人物だ」
http://www.tv-asahi.co.jp/scramble/
香港 抗議活動拡大を警告 緊張高まる 2014年10月2日 NHKニュース
学生や市民の抗議活動が続く香港では、学生団体が香港政府トップの行政長官が2日夜中に辞任しなければ、活動を拡大させると警告しています。これに対し、香港政府は政府の建物に損害を与えるような行為は許さないとして厳しく対処する方針を示し、緊張が高まっています。
中国大陸では、2日も海外のテレビ局が香港の抗議活動に関するニュースを伝えるたびに放送が遮断されています。
このうち、NHKの海外向けテレビ放送「ワールドプレミアム」が日本時間の2日正午すぎに香港での抗議活動に関するニュースを伝えると、すぐに映像や音声が遮断され、2分近く画面が真っ黒になりました。イギリスのBBCアメリカのCNNテレビも同様で、中国当局が香港情勢に神経をとがらせ、情報を統制しているものとみられます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141002/k10015073151000.html
プライムニュース 「“変質の原点”から四半世紀 中国の不満と不安」 2014年6月4日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理 【ゲスト】陳破空(中国民主化運動活動家)、石平(拓殖大学客員教授)、古森義久産経新聞ワシントン駐在客員特派員)
1989年6月4日、中国で民主化を求める学生らが軍によって鎮圧された天安門事件。以降、中国は“徳治”の仮面を捨て、実利至上主義を前面に掲げてきたように見える。
25年が経ち、GDP世界第2位の経済大国の地位を手にしたものの、各地でテロや治安悪化が露見するなど、国家の空洞化は進みつつあると指摘される。
反体制活動家として名高い陳氏と、日本に帰化した石氏に、その核心を聞く。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140604_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140604_1
六四天安門事件 ウィキペディアWikipedia)より
六四天安門事件とは、1989年6月4日に、同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺したとの報告がある)し、多数の死傷者を出した事件である。
【死傷者】
中国共産党の発表では、「事件による死者は319人」となっているが、この事件による死傷者については上記の中国共産党による報道規制により客観的な確定が不可能であり、数百人から数万人に及ぶなど、複数の説があり定かではない。また、天安門広場から完全にデモ隊が放逐されたあとに人民解放軍の手によって死体が集められ、その場で焼却されたという情報があるように、事件後に中国共産党によって多くの死体が隠匿されたという報道もある。 また、約300名の活動家がパリに亡命した。
ウィキリークスが2011年8月に公開した米外交公電の1990年3月の内容には、軍兵士は下された「無差別発砲」命令を受けて、1000人以上の学生を死亡させたことが記されていた。
またソ連の公文書に収められているソ連共産党政治局が受け取った情報報告では、「3000人の抗議者が殺された」と見積もられている。
劉暁波 ウィキペディアWikipedia)より
劉暁波(りゅうぎょうは、リュウ・シャオボー、1955年12月28日 - )は、中華人民共和国著作家。元北京師範大学文学部講師。人権活動や民主化運動に参加し、度々投獄される。
2008年に民主的立憲政治を求める零八憲章を起草して拘束され、2020年6月21日までの懲役刑の判決を受け錦州監獄で服役中。
2010年にノーベル平和賞を受賞し、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者となった。劉暁波は、「この受賞は天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と語り、涙を流したとされる。なお、投獄中の人に平和賞が贈られたのは、1935年に受賞したカール・フォン・オシエツキー、1991年に受賞したミャンマーの野党政治家アウンサンスーチー(ただし、監獄ではなく自宅軟禁)以来、3人目である。
ノーベル平和賞受賞】
中国政府は2010年10月下旬以降、ノルウェーにある欧州各国の大使館に対し、12月10日にオスロ市庁舎にて行われるノーベル平和賞授賞式の式典に参加しないよう求める書簡を送った。さらに、式典当日に劉暁波を支持する声明を発表しないように促した。また、北京にても諸外国の外交官に対して、同じ要請をした。
授賞式当日は17か国が欠席した(中国・ロシア・カザフスタンチュニジアサウジアラビアパキスタンイラク・イラン・ベトナムアフガニスタンベネズエラ・エジプト・スーダンキューバ・モロッコ)。授賞式当日には、中国政府は人権活動家のモンゴル族のハダを釈放したが直後に拘留した。
反日教育 ウィキペディアWikipedia)より
反日教育とは「反日感情を植付け、あるいは煽るために行われる教育」を指す言葉。国家あるいはある組織が行う集団的思想教育・洗脳教育。
中華人民共和国
2006年8月に発売された江沢民文選によると、元国家主席である江沢民は1998年8月「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない(=プレッシャーをかけ続けなければいけない)」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出していた。その背景として、江沢民は、天安門事件経済制裁を受けたうえに東欧革命やソ連崩壊の影響によって自国の共産主義政権が崩壊することを恐れ、国民に対して中国共産党による統治の正統性を再確認させるとともに、政治への不満から目を逸らせる為に愛国主義教育(反日教育)を推進したのである。

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『在外 日本人』 柳原和子/著 晶文社 1994年発行
天安門事件 悔しいだろうけど、今は目をつむって眠るしかない 執筆者・北京元報道特派員 大崎雄二 (一部抜粋しています)
大学4年の夏、中国の国費留学生として天津の南開大学文学部に行きました。僕は先輩とはちがう、ほんとうの留学生になろうと思いました。中国人労働者の賃金が70元に140元の奨学金をもらって、留学生用のいい宿舎に入れてもらったんですが、それでは飽き足らずに、中国人の学生寮にこっそり入れてもらいました。青い木綿の人民服を着て、ほうろうびきの茶碗1つぶらさげて、中国人学生と同じものを食べる――そういう暮らしを始めたんです。最初は、ご飯に野菜スープを混ぜたような彼らの食事を飲み下せませんでした。中国人学生は、大量の澱粉でエネルギーをとってるんです。彼らと同じ食事を続けてたら、とうとう栄養失調になってしまいました。      ・
NHK特集番組の取材で北京大学に潜っていたとき、彼らは仲間のように迎えてくれました。実を言うと。以前に大型番組の取材で来たチームが大量にポケットカイロを置いていったんです。それを支局長に内緒で100個くらい持ち出して、彼らに差し入れしたり……。そのくらいの親近感があったんです。しかし、悲しいかな。横町のおじさんには「超エリート」である北京大学の学生の言葉は理解できない。取材を終ってからも、学生たちとずいぶん話しこみました。
そのうち、天安門広場でハンストを始めた、と聞いて取材に行きました。
戒厳令が出てからの北京は依然と全然ちがった雰囲気でした。「野菜も肉もないそうだね?」ってマイクを向けると、ふだんは無愛想なねえちゃんが「嘘だよ。こんなにいっぱいあるじゃないか」ってマイクを奪いとらんばかりに答える。周囲の群衆も「そうだ、そうだ。共産党の言うことはみな嘘だ!」って。「外国の放送局はほんとうのことを伝えてくれ。俺にも言わせろ」って、誰も彼も喋りだす。こちらが質問もできないほどでした。そのとき、この人たちの話し言葉をそのまま理解できる自分のしあわせを初めて感じました。それまでは、日本人には理解できないだろうってカゲで話す彼らのののしり言葉が聞こえてしまって、中国語が理解できることが悲しいことばかりだったんです。
6月2日の晩から翌日の明け方、戦車が天安門に入るちょうど24時間前のことでした。あれはシナリオができていたんです。当局はまず、なにも知らない丸腰の、頬が赤いような四川省あたりの兵隊を広場に入れたんです。「天安門広場で映画会があるから行こう」って誘われてきた兵隊です。そしたら、学生たちの小突かれ、おじさん、おばさんたちには「帰れ!」って怒鳴られる。ほうほうのていで逃げ帰らざるをえなかった。
おばさんが、兵士に「あんたいったいいくつなの? うちの息子と同い年じゃないか。自分の母親に銃口を向けるようなことをする気かい?」って説教する。マイク向けて、黙って見てるしかなかったです。涙がポロポロ出るほどの感動でした。
そしたら翌日の午後、軍隊が「反革命暴乱」を理由に出動した。そして催涙弾、発砲、暴力。夜になって戦車が広場に入ったわけです。丸腰の兵隊たちが学生たちに追い返され、当局は忍耐に忍耐を重ねたけれどもこれはもう反革命行為だ、というシナリオです。じつに見事ですよ。あれよあれよという間に、天安門広場に戦車が入ってきて、アッと思ったときには私とカメラマンの2人が広場の真ん中に取り残されていた。
素手で戦車を止めた兄ちゃんはタダモノではないですよ。私たちは、彼らが装甲車に火をつける現場をカメラで追っていた。「あいつら公安だ、殴ってしまr」って叫ぶ声が聞こえました。こっちに殴りかかってきたんです。とっさに外国人記者証をだして、ありったけの中国語でまくしたてました。そしたらまわりの人たちが「こいつら、日本人だ。俺たちの主張を伝えてもらおうじゃないか」って。それからの取材は彼らにかばわれながらやったんです。ケガ人が運ばれてきたとき、おじさんが「撮れ」って言います。「早く病院に運べ」って僕を叫ぶと「撮ってくれ」って言うんです。――でも、すでに死んでしまっていた。
戦車が入ったとき、『インターナショナル』が聞こえてきました。学生たちが歌っていたんです。どの顔見ても、泣いている。死ぬかもしれない、と覚悟していたんでしょう。その顔にライトを照らしながら、カメラマンに見えないように顔をそむけて、私もワンワン泣いてしまいました。そして、それ以外に歌う歌がないってことが彼らの限界だな、と思いました。
そのうちに銃声がどんどん近づいてくる。あちこちから「あそこで人が死んだ」「助けてくれ」というおじさんやおばさんの声が聞こえる。「子どもが殺された」「戦車をとめたお婆さんを兵隊が殴った」という話が次から次に聞こえてくる。
それまで中国人が「ごめんなさい」「こんにちは」なんて言うのを聞いたこともなかったのに、ガラリと変わりましたね。<連帯感>が生まれていました。私たちが外国の放送局とわかると「ちゃんと伝えてくれ」「中国のテレビは嘘ばっかりだ」「おいらの人力車に乗って行け、いい映像を撮ってくれ」と申し出てくれた。
怖い、とは思いませんでした。銃を水平撃ちしている兵士の姿を目撃したときには怖かったですけど、悔しいっていうのがほんとうですね。繁華街の王府井まで逃げたら「ゼネストだ!」という声が聞こえた。学生や市民まちが口々に「李鵬の奴め!」――英語で言う「ファック・ユー」を叫んでいました。気がついたときは、私自身がそこいらへんにあった棒切れをつかんでいたんです。
カメラマンの「バカ!」っていう声で、捨てましたけど……。まわりで、どんどん人が倒れていきました。
当局は死者の数は200人余りって発表しました。僕は300から500人だったと思います。とても学生たちが主張するような1000人には及ばない。――でも、1人でも100人でも同じことなんです。人間が軍に、自分の国の政府に殺されたんです。
力なんだ、力。
怒りがこみあげてきました。戦場っていうのはお互いに鉄砲を撃ち合うところでしょう。でもあの日の天安門前は戦場とほ思rない。無防備な人々が力でおしつぶされ、処理されていく惨殺場でしかなかった。
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午前5時、ようやく支局にたどり着きました。支局長から「これから辛い取材が始まる。とにかくシャワーでも浴びてこい」って言われて、支局と同じ敷地にあるアパートに向かって歩いていたら、近くの交差点でものすごい銃撃戦があったんです。そこで戦車の戦車の行く手をはばんでいた人たちがバラバラッと外国人専用アパートに逃げてきた。ふだんは無断で中国人が入ってはいけない敷地なんですけど、交差点では1人が殺されてたし、戦車に轢かれて脳味噌が潰れている死体も見えた。「撮れ!」って皆に言われたんですけど、とても……撮れやしません。
彼らをかくまいました。前の晩から飲まず食わずだって言うから、冷蔵庫にあったパンと水をだしました。
気がつくと皆、真っ黒な顔をしています。顔だけでも洗っていけってお湯を沸かし、お茶を飲ませました。そして支局の車の後ろに隠して途中まで送りだしたんです。
電話番号を聞かれました。教えたら、翌日から「誰だかわかるだろう?」ってコッソリと情報を教える電話がかかってきました。
でも……。翌朝には、北京は死人のような町になってしまった。何もなかったよ――という白黒の世界にもどっていったんです。

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じじぃの日記。
1989年6月4日、北京市天安門広場民主化を求めて集結していた学生たちに対し、中国人民解放軍が武力弾圧を行い多数の死傷者を出した。天安門事件である。
その時、武力弾圧で功績があったとして、大抜擢されたのが江沢民だった。
江沢民愛国主義教育という訒小平の言葉を歪曲して、愛国教育を反日教育にすり替え歴史教育を行った。
先日の日本による尖閣国有化で中国国内にものすごい反日デモが起こった。
すべて、江沢民のせいというわけでもないが、ほとんどが江沢民による反日教育を受けた世代である。
そして、ネット検閲で規制強化しているのも、江沢民が陰で指示しているのだという。
中国は、毛沢東という亡霊と、江沢民という気違いが支配する国なのである。