じじぃの「科学・芸術_25_戦車を止めた男(天安門事件)」

Tank Man (now with more raw footage) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qq8zFLIftGk
戦車を止めた男

天安門事件の公式犠牲者数319人 実際は数万人ともいわれる 2015.08.24 NEWSポストセブン
1989年6月4日、北京の天安門広場民主化を求めて集まった学生や市民に対し、軍が発砲した天安門事件
中国政府は一貫して、「事件は一部の学生らによる『暴乱』であり、軍の出動は正しかった」と主張する。そして公式の犠牲者数は319人と発表している。
http://www.news-postseven.com/archives/20150824_340530.html
『そうだったのか!中国』 池上彰/著 集英社 2007年発行
天安門事件が起きた (一部抜粋しています)
1989年4月、党の総書記を解任されてから2年後。胡耀邦は突然亡くなります。党政治局の会議中に倒れて入院。1週間後の4月15日朝、心筋梗塞のために死亡しました。
当日の正午、胡耀邦の死亡が発表されると、直ちに大学生たちが行動を起こします。その日のうちに、北京大学構内には、胡耀邦を追悼する壁新聞が大量に張り出され、その夜には追悼集会まで開かれました。
胡耀邦が、学生運動に対して寛容であったことが理由となって解任されたことを、学生たちは知っていました。自分たちの理解者の突然の死に、多くの学生たちが立ち上がったのです。
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6月4日は日曜日、午前4時10分。天安門広場の電気が一斉に消され、広場は真っ暗闇になります。広場で寝ていた学生たちに動揺が広がります。広場に据えつけた拡声器から、学生たちが歌う「インターナショナル」の歌声が響きます。
「起来! 飢寒交迫的奴隷……」(立て、飢えたる者よ……)
インターナショナルは労働歌。全世界の抑圧された労働者が団結して立ち上がろうと呼びかける歌で、共産党の集会ではおなじみの歌です。学生たちは、あえて「インターナショナル」を歌うことで、自分たちが「共産党に反対しているわけではない」と精一杯のアピールをしたのです。
午前4時30分、赤色の信号弾が未明の空に打ち上げられ、広場を赤く照らしました。
これが合図でした。
戦車や装甲車が一斉に広場に突入します。広場やその周辺に銃声が響きます。
学生たちの7週間にわたる民主化要求の運動が、戦車によって踏みつぶされた瞬間でした。
「民主の女神」も倒されました。
この様子を現場から日本に向けて電話でレポートしていたNHKの若い記者は、涙声になっていました。
天安門広場周辺の主要道路である長安街では、兵士が群衆に向かって無差別射撃を開始します。逃げ惑う若者たちが、白いシャツを赤く染めて倒れます。
群衆の中から火焔瓶が投げつけられ、装甲車や軍用トラックが火を吹きます。火だるまになった兵士が息絶えます。
市街戦が繰り広げられたのです。
兵士による無差別銃撃は、翌日も続きます。人民解放軍の兵士を乗せた軍用トラックは大通りを行き来し、通りの両側のビルから顔を出す人たちに向かって発砲を繰り返したのです。
このとき、信じられない光景が出現しました。人通りの絶えた大通りを我が物顔に進む戦車部隊の前に、荷物を持った白いワイシャツ姿の男性が1人立ちふさがったのです。
戦車は緊急停止。男を避けて通ろうとしますが、戦車が方向を変えるたびに、男は戦車の前に移動します。後続の戦車も身動きとれなくなりました。
戦車は、果たして男を轢いてしまうのだろうか。見ていた人々は息を呑みました。にらみ合いが続きます。
やがて、脇から男たちが駆け寄り、男性は連れ去られました。
この様子は、外国のメディアが撮影。「戦車を止めた男」として世界に報道され、感動を呼びました。