じじぃの「科学・芸術_762_堺屋太一『時代が変わった』」

作家の堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親 元経企庁長官

2019.2.11 SankeiBiz
団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日午後8時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。
在職中の75年に石油危機をテーマにした「油断!」で作家デビュー。第1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測するなど、将来を先取りする著作でベストセラー作家となった。
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/190211/mca1902110500008-n1.htm

プライムニュース 「石原慎太郎×堺屋太一 今語るべき日本の課題」

2018年10月3日 BSフジ より
【キャスター】松山俊行 【ゲスト】石原慎太郎(作家 元東京都知事)、堺屋太一(作家 内閣官房参与
●今の日本に足りないもの
松山氏、「堺屋さん、3度目の日本という話をされましたけれど、たとえば、明治維新であれば、大きな国の目標として欧米列強に追いつき追い越せという、富国強兵とかがありましたよね」
堺屋氏、

「まさに強い日本を目指したわけですよ、明治の日本は。それで戦後の日本は豊かな日本を目指したんですよ。だから、今度は面白い日本、楽しい日本を目指さなければいけないと思うんですよね」

松山氏、「それは精神的にも、いろいろな魅力も含めて、そういう面白い日本をつくっていかなければいけない?」
堺屋氏、「多様性と面白いということは多様性と意外性がある社会なんですよ。だから、その多様性と意外性をつくらないかん」
http://www.bsfuji.tv/primenews/text/txt181003.html

『時代が変わった』

堺屋太一/著 講談社 2001年発行

日本は今、何をすべきか 4つの「文化革命」 より

●「時代が変わった」――まず、それを認識しよう
時代が変わった――では、日本は、われわれは今、何をすべきか。最後にそれをまとめておこう。
まず第1は、「時代が変わった」ということを、はっきりと認識することだ。
人間の行動は、認識からはじまる。「時代が変わった」とは、これまでの仕方や仕組みが変わるのはもちろん、正義の基準も価値の尺度も変わった、ということだ。これまでの正義と正当は時代遅れとなり、世の中の改革発展を阻害する要因になったのである。
変化を認め、自ら納得するのはむずかしい。官僚であれ民間人であれ、経営者であれ中間管理者であれ、これまで自分が守り育ててきた基準や尺度を捨てるのは辛い。世のため人のため、役所のため会社のためと信じてきた仕方や仕組みを止めるのは腹立たしい。自分の蓄積した知識や技術だけではなく、人格と人生を否定されるような思いもする。だから、「他はともかく、オレのやってきたことだけは変わることはない」よ思いがちだ。過ちは正し、不足は補い、新規の技術や道具を取り入れ、みんなでしっかりやれば良くなる、正義の基準や価値の尺度まで変えるべきではない、と考えてしまう。
実は、これが困るのだ。仕方と仕組みを変えるには、これまでの正義と正当を捨てるしかない。それが「時代が変わった」ということだ。これをよく認識する必要がある。
●アンラーニング――20世紀を忘れよう
この辛い認識をするには、これまでの知識と経験と成功体験を忘れなければならない。つまり、「20世紀」を忘れることだ。
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●新しい正義――楽しきは人生の目的だ
第3には、「新しい正義」を掲げることだ。戦後の日本は「効率・安全・平等」の3つを正義としてきた。それは、規格大量生産の近代工業社会を築くのには役立った。人口が増加し土地が不足する時代には適していた。だが、創造と個性を伸ばすのには向いていない。高齢化と土地あまりの進む世の中では適していない。

3つの正義を捨てる必要はないが、自由と楽しさも正義に加えるべきだ。

これには激しい抵抗があるだろう。効率と安全と平等の正義を守るためには、自由や楽しさを抑えることを使命と考えてきた官僚や教師は、倫理的にも手続きの上でも、強い嫌悪を感じるだろう。自由と楽しさは、現行の法律や道義をはみだす上、それを要求する人人は現在の基準の優等生ではないことが多い。
これは時代の変わり目にはいつも起こることだ。新しい時代で文化や経済を進めるのは、前時代のはみだし者だ。21世紀の文化と経済を伐り拓くのは、今日の倫理と教育の基準では「不適合」といわれるような人々だろう。
●官僚文化の否定――試験で人材は選べない
第4には、官僚主義を排除することだ。これは単に規制を緩和し、公共事業や特殊法人を減らすだけのことではない。官僚文化全体をも否定しなければならない。明治維新が武士の文化を、戦後改革が軍人文化を否定したように、である。