じじぃの「人の生きざま_81_石原・慎太郎」

石原慎太郎 - あのひと検索 SPYSEE
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Season of the Sun (Taiyou no kisetsu)- 太陽の季節 (1956) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=CmKOqWx8aec
20101024フジ 新報道2001中国とどう向き合う!石原慎太郎知事生登場 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Q1p1JeHzimw
石原都知事尖閣漁船衝突ビデオ流出させた人物に喝采 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=sDY3F8a2eAc&feature=related
プライムニュース 「安倍首相と維新・石原共同代表に今の政治を問う」 2014年4月8日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理 【ゲスト】石原慎太郎 日本維新の会共同代表(前半)、安倍晋三 内閣総理大臣(後半)
17年ぶりの消費税率引き上げ、集団的自衛権の行使容認をめぐり自民党での本格的な議論開始、大詰めを迎える日豪EPA交渉など、長年、懸案事項だった政治課題が動き始めている。今、日本政治において、一番求められていることとは何なのか。
前半は、日本維新の会の石原共同代表を迎え、集団的自衛権についての考え方、安倍政権との距離感などについて聞く。後半は安倍首相を迎え、外交、安保、正念場を迎える経済について聞く。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140408_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140408_1
プライムニュース 「石原慎太郎知事生出演 菅政権の脱原発依存&震災対応にモノ申す!」 2011年8月3日 BSフジ
【キャスター】八木亜希子、反町理、山本周解説委員 【ゲスト】東京都知事 石原慎太郎早稲田大学政治経済学部教授 河野勝
東日本大震災から間もなく5ヵ月が経過しようとしている。先月末、復興基本法案の骨子がやっと固まったが、避難者はいまだ20万人を超え、被災者の不安は募るばかり。真に必要とされている復興政策は不透明なまま。菅首相の「脱原発依存」発言によるエネルギー政策も含めた党内の乱れも、問題となっている。
そこで今回は、石原慎太郎東京都知事をゲストに迎え、菅政権の震災対応、そして日本の首都・東京としての独自の震災復興策を問う。迷走する日本の原子力政策はどこへ向かうべきか。代替エネルギーの可能性、そして経済界が懸念する電力不足を補うための、東京都の新しいエネルギー政策とは何なのか。さらに、これからのアジア政策…特に新幹線特許問題、東シナ海問題などで揺れる中国との関係をどうしていくのか。
「日本人は堕落した」と石原都知事が憂えるこれからの日本には、一体何が必要なのか。石原都知事とともに、これからの震災復興および日本復興にいかなる施策が必要なのか、二時間徹底的に論じる。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d110803_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d110803_1
石原慎太郎公式サイト
http://www.sensenfukoku.net/
石原慎太郎 ウィキペディアWikipedia)より
石原慎太郎(1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の政治家、作家。東京都知事(第14・15・16・17代)。
参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、環境庁長官(第8代)、運輸大臣(第59代)を歴任した。
俳優の石原裕次郎は弟。家族は妻(石原典子)、4男(自由民主党幹事長の石原伸晃は長男、俳優・タレントの石原良純は次男、前衆議院議員の石原宏高は三男、画家の石原延啓は四男)。
【概要】
兵庫県神戸市須磨区生まれ。湘南高等学校、一橋大学法学部卒業。
敗戦を迎え、学制改革により新制湘南高校へ進学。教師は民主主義を説き、東大に進み「国の役人」になることを強要し始めた。その際、校長は生徒を集めて得意気に当時の大蔵省理財局長を紹介した。石原はその現実を目の当たりにして、それをきっかけに学校離れも進んでいった。そして高校を1年間休学。その頃石原をとらえて離さなかったものは、サンボリズムの詩やシュールレアリズムの絵であった。石原は絵を描き、芝居やオペラを観、真昼間から映画鑑賞に耽り、フランス文学が好きなのでフランス語の勉強をした。
一橋大学では社会心理学の南博ゼミに所属。大学在学中の1956年(昭和31年)に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、「太陽族」が生まれる契機となる。また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせた。作家としては他に芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞などを受賞。『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』(盛田昭夫との共著)、弟・裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなった。現在、芥川賞選考委員。

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文藝春秋 2010年12月号
日本脱落論 このままでは日本は沈む 作家・東京都知事 石原慎太郎 (一部抜粋しています)
戦争中、小学校への通学路の途中に新築された当時としては珍しくかなり大きな2階建ての木像の建物が、聞けば海軍の将校たちのクラブ水交社のもので、目的は出陣する若い将校たちが、主に新婚の妻を呼び寄せてきぬぎぬ契りを交わして数夜を過ごしその後出陣していくための施設と聞かされた。しかし戦の敗色が濃くなるにつれ、そこは遠い南の海で戦死した将校の遺族の待ち合い所となり、数ヵ月前に出征していった若い士官の遺骨を入れたと称せられる、白い布に包まれた箱を残された若い妻が受け取る式場となっていた。学校からの帰路にあるその建物に、私はその方面の少年団を代表して焼香に何度かいかされたものだった。
その建物が敗戦で一夜明けると、町の郊外の池子の弾薬庫の始末に来ているアメリカの黒人兵専用の娼婦の宿となった。昼間前を通り過ぎると路上で腰巻き一枚半裸の女たちが黒人兵とたわむれる光景が見られ、私はどうにも我慢がならずその道を往復から外してしまった。
ちょうどその頃、坂口安吾は有名な『堕落論』を書いた。
「大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる」。けなげな戦争未亡人もやがては他の男に心を移す。「人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ」とある。
この論文が当時評判になった所以は、要するに、天皇を神格化絶対化して遂行され破綻した戦争の末に日本人が突きつけられた困惑を是とし、かって奉じた信念への後ろめたさに戸惑う国民に、あの狂気から醒めることの正当性を説いたということだ。
戦争当時の日本人の価値観、というよりも価値的情念の基軸に在った天皇についても、日本の歴史の中でそれぞれの時代に為政者たちはそれぞれ勝手に天皇を己の欲望のために、あがめてみせながら実は存分に利用してきたに過ぎないと割り切っている。
戦後のあの時代国家をあげての物資の欠乏と貧困。今までなかった無秩序の到来と混乱、そしてそれからの要約の脱却、消費文明の到来から経済の成長と、気がつけばこの国はいつかアメリカに次ぐ世界第2の経済大国にまでなりおおせていた。
そしてさらに今、敗戦から65年という歳月の経過の末に、気づいて見ればこの国は大きく傾き沈没しようとしてい、それを表象、象徴する出来事にこと欠かない。
私は今の日本を眺めて過去のある出来事、華やいだ悲劇ともいえる、当時の最高技術で造り出された最大の豪華客船タイタニック号の沈没を連想してしまう。時ならず南下してきた氷山に衝突した巨船は浸水し始め、まだまだ大丈夫と自惚れていた専門当事者たちの予想を裏切って浸水は進み、ついには機関室が侵され逆立ちして敢えなく大西洋の底に沈んでしまった。
今この国の将来について危惧を抱く者たちの懸念の根拠を洗い立てれば、切りがないことに慄然とさせられる。
自惚れに埋没し、ただ継続性と一貫性にすがって発想力を欠き、長期の展望を持ち得ずに過ごしてきた国家官僚にことを委ねるだけできた自民党の長期政権は、それを象徴する厚生省の堕落によって滅ばされた。
過去長きに渡り自民党を陰に陽に支配してきた旧田中派経世会のいわゆる厚生御三家といわれた幹部政治家たちが、長年にわたり会運営の強力財源として薬9層倍の製薬メーカーと組んで行ってきた多額な政治資金捻出の作業は、製薬とそれに関わる行政を堕落させそれが役所全体に普遍し、福祉という先進国での不可欠な事業を含めて、国家における国民の人生の成熟と幸せを担保するもろもろの事業の能率と新しい展開を阻害してきた。
その顕著な証しの1つは、老人を食い物にして蓄財発覚して裁判にかけられ責を問われた岡光なる厚生次官の存在だが、昔ならこんな男は裁判を待たずに一連の荘士によって報復殺害されていたろう。しかし今の日本にはそのための荘士もいない。
年金という高齢化社会を好ましい社会状況として担保する仕組みも、堕落腐敗した厚生省の杜撰な運営によって半ば瓦解し、それを攻め立てた野党、それに応えて大見えを切る与党大臣が吠えたてても、果敢に攻めていた野党の論客が政変で今度は担当大臣に成りおおせても、何が一行にどう変ることもありはしない。
これがもし欧米の先進国で発覚した行政の破綻だったならば、フランスやイギリスであったなら、政党への支持不支持を超えて全国規模の大でもなりストライキが起こって政変にもつながったろうがこの国においては国民の不安の声は上がっても愚痴か諦めの域を超えず、結局総選挙を待っての政変とはなったが、こと年金という焦眉の問題に関して何の良き変化もありはしない。
こうした事象1つ見ても、後に触れるが、私はこの国の戦後における国民としての「自我」の形成に疑問を抱かざるを得ない。私たちは敗戦という多大な犠牲を払ってまでさずかった大切な契機に一体、自立した国家として、それを形成する国民たる個人としての、いかなる自我を獲ち得たのだろうか。

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