じじぃの「科学・芸術_753_大図鑑・織物(絹)」

中国の絹

なぜヒトだけが氷河期を生き延びたのか?~道具の起源はアイデアの宝庫

2014.2.6 ダイヤモンド・オンライン
●衣服が人類を生き延びさせた
2003年、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のキットラー博士らが「約7万年前から」という答えを出しました。それは最終氷河期であるウルム氷河期がちょうど始まった頃でした。
ホモ・サピエンスは衣服を整えるための「縫い針」を、4万年前には作り出していたのです。
https://diamond.jp/articles/-/48243?page=4

『ビッグヒストリー大図鑑:宇宙と人類 138億年の物語』

デイヴィッド・クリスチャン/監修、ビッグヒストリー・インスティテュート/協力、オフィス宮崎/日本語版編集 河出書房新社 2017年発行

身分を表す衣服 より

布地は農耕時代の初期から作られるようになった。そのころ、かごを編む技術が初めて動植物の繊維に応用されたのである。織物の技術が発達すると、繊維が商品として盛んに取引されるようになり、衣服で社会的地位がわかるようになる。

布地は世界のいくつかの場所で、さまざまな素材を使って独自に発明された。布が使われるようになるのは紀元前7000年ごろからで、最古の布は、近東で栽培化された亜麻の繊維を利用するリネンや、インドで栽培化された綿から作る綿(めん)である。後にはこれに、ユーラシアでは羊からとった羊毛や、南米ではアルパカやラマからとった毛が加わる。メソアメリカでは、布地の材料として綿とアヤテ(リュウゼツランからとる)が主に使われた。
織機が開発されて、布を織るという技術が生まれた。機織りは、道具で縦糸を並べてぴんと張っておき、その縦糸の間に横糸を通して布地に仕上げていく。アメリカ大陸では、織り手の後ろに織機を固定して織っていたが、ユーラシアでは垂直に立てた木の枠と、縦糸に結びつけた錘(おもり)で同じことを実現していた。
布地は植物や鉱物、昆虫、貝などからとった染料でさまざまな色に染められた。古代世界で最も高価な染料は、東地中海に生息するアッキガイという巻き貝から採取される貝紫だった。この染料は非常に珍重されたため、交易品としてこれを扱う人々はフェニキア人(ギリシャ語で「紫の人々」の意)と呼ばれるようになる。
衣服は、人々が身分を表すのに重要な役目を果たすようになる。エジプトやメソポタミアでは、羊毛より軽くてすべすべしたリネンのほうが高級とされ、裕福な人だけが身につけられる素材だった。多くの社会で、人々が着用できる衣服を法で規定していた。チューダー朝時代のイングランドでは、王家に属する人だけが金色の衣装を着ることができた。中国では、皇帝とその最も近い親族のみが、鮮やかな黄色を身につけることが許された。
絹は、その光沢、柔らかさ、なめらかさ、そして恒温性(夏涼しく冬暖かいという性質)から特に人気が高かった。中国では紀元前4000年以前にカイコガの繭から絹を作っていた。カイコガは世界で唯一、完全に家畜化された昆虫である。選択繁殖を重ねるうちに飛べなくなり、幼虫の脚も退化した。そのため、平たい盆の上で飼育されるがそこから逃げ出すことはできない。

中国の絹

この絵(画像参照)は12世紀初めの中国のもので、女性が絹にアイロン(火のし)をかけているところを描いている。絹はきわめて貴重な織物で、そのため交易品としての絹が運ばれたアジアからヨーロッパまでの陸上ルートはシルクロード」と呼ばれるようになる。中国は6世紀まで絹の製法を独占し、蚕や繭を中国から持ち出すことは重大な罪だった。この絵画自体が絹地に描かれている。