じじぃの「科学・芸術_744_イスタンブールのクルド人」

The Assyrian Empire,Ancient History of Kurdistan

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=utA3sgec_Eo

アッシリア人

ウィキペディアWikipedia) より
アッシリア人とは、アラム語の1つ現代アラム語を話しキリスト教を信仰する中東の少数民族。古来からアラブ人、トルコ人クルド人トルクメン人などの異民族との競合や迫害を受けながらも、強固な民族意識により伝統的な文化を継承している。
「シリア人」という意味の「スリョイェ」を自称するが、シリア・アラブ共和国の国民との混同を避けるため、以下アッシリア人という表記を用いる。ドイツなどではアラム人(Aramaer)と呼ばれる。なお、古代アッシリア人との遺伝的関係は明らかになっていない。

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クルド人を知るための55章』

山口昭彦/著 赤石書店 2019年発行

イスタンブールクルド人 より

イスタンブールは現在、国内で最大のクルド人口を抱える都市といわれる。トルコでは、民族別の人口統計は長いあいだとられておらず、最近のクルド人口を知るにはサンプル調査にもとづく推計値を用いることになる。そのようなサンプル調査のうち比較的よく引用される2006年のKONDA社調査によれば、イスタンブールクルド人口は190万人であった。(2008年12月21日付)。同じ年のイスタンブールの人口は1240万人であるから、およそ住民の6~7人に1人がクルド人ということになる。
そのイスタンブールクルド人に注目が集まったのは、1990年から2000年代にかけて、東部における内戦の激化により、政府の立ち退き命令や戦闘から避難するため域外への移住者が増え、イスタンブールにも大量のクルド人が流れ込んだことを直接のきっかけとしていた。この時期のイスタンブールでは治安への不安が高まり、街頭の監視カメラやショッピング・モールを巡回する警備員などが目に見えて増えた。富裕層や中産階級から治安悪化の原因とみなされたのが、内戦から着の身着のまま逃れ、困窮したクルド人だったのである。
クルド人に向けられる否定的な視線はさらに、「もうひとつのイスタンブール」や「ヴァロシュ」(varos)といったマスメディアの表現に象徴される、都市社会の分断というより大きな現象とも結びついていた。ヴァロシュは、大都会に形成された移住者の集中する不法住宅地区を指し、貧しく犯罪的で暴力的な空間というイメージを伴う。都市社会の分断は、政治的要因(移住者に支持された親イスラム政権の地滑り的勝利に対する世俗主義中産階層の警戒心)や、経済的要因(不法住宅地区の再開発をめぐる利益対立の先鋭化)が絡まる複雑な現象である。そうした背景のもとで、しばしば人種差別的なトーンを帯びた反クルド感情が正当化されたのだった。
興味深いことにこの時代には、クルドであることをむしろ肯定的にとらえ、積極的にアピールするという新たな動きも生まれた。クルド民族主義が政治的アイデンティティとして認められてクルド系政党の政治参加が進み、またクルド語の歌のCDや詩集などの出版が相次いだ。ベテラン歌手のヒュルヤ・アヴシャルが、最近になって母方の祖母がクルドだと告白して話題になったのは、クルドであることが「売れる」ようになったことを示している。政治的文化的なクルドアイデンティティが高らかに表明されたり、あるいは商品化されたりする。その中心的舞台となったのもまた、イスタンブールであった。
注意したいことは、ここまでとりあげてきた「クルド」は、それが誰を指すのか必ずしも自明ではないということだ。政治的イスラムの台頭を警戒する中産階級がヴァロシュの移住者を語るときに連想する「クルド」と、政治的文化的シーンで動員される「クルド」のイメージのあいだには、開きがある。クルドとひとことで言っても、そこにはクルド語話者、アナトリア東部出身者、クルド気政党支持者、親イスラム政党のばらまき政策で懐柔される人々、部族社会、エキゾチシズムなど、さまざまな属性や指標が含まれている。つまり立場や見方によってクルドの定義は違ってくる。「クルド」は光をあてる角度によって、いくつもの異なる像を結ぶのである。冒頭のKONDA社の調査もそうした事情を踏まえ、あくまでも便宜的に「クルドまたはザザを自認する人」と「クルド語またはザザ語を母語とする人」を「クルド」と定義したものだった。
クルド」の多面的なありようは、言説や表象の空間だけでなく、日常生活のなかでも観察することができる。