「池上彰の事実と嘘」“事実”→韓国の憲法前文に反日の原点があった 動画 YouTube
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韓国の憲法前文に「反日」が書かれてある
池上彰SP「韓国の憲法前文は日本と戦ったという建国神話(ウソ)に基づいてできている」 2015.06.08 ぼやきくっくり
韓国はそもそも憲法前文に「反日」が書かれてある。
しかもそれは神話(ウソ)に基づいたものである。
このことが、日本のテレビ、それも地上波、それも全国ネット、それも金曜の夜(21時00分〜22時52分)に放送されたのは、画期的だと思います。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1732.html
『韓国人に教えたい 日本と韓国の本当の歴史』 黄文雄/著 徳間ポケット 2013年発行
朝鮮半島の抗日運動の真実 より
日清戦争、大韓帝国成立、日韓合邦という一連の流れの発端となったのが、1894年に起きた東学党の乱(甲午農民戦争)です。
当時は農民の蜂起が多発しており、この民乱もその1つに過ぎませんでしたが、指導者の多くが東学の信者であったことで規模が急速に拡大したのです。東学とは朝鮮末期に起こった新興宗教で、従来の朱子学などとは違う朝鮮独自の思想を立ち上げようとしたものです。
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また、同時期から日露戦争にかけて、日本の統治に反対する義兵運動も起こっています。当初は儒教の大義名分にのっとったものでしたが、統率のとれない運動は長続きせず、ただの火賊(放火を得意技とする匪賊)、農民一揆へと減速していきます。
日露戦争後に「討倭」を叫んで蜂起した義兵も、実質的には政敵を襲撃する匪賊でした。『韓国独立運動史』によると、義兵闘争による死傷者は「倭軍警」(日本軍人と警察)が127人だったのに対し、「敵の走狗(手先)は1250人とあり、日本人の10倍にのぼる韓国人が犠牲者になっていることが分かります。
そもそも義兵とは正規軍と違い、大義名分のもとに自発的に戦う義勇兵です。聞こえはいいものの、後ろ盾がないため、すぐ資金や食糧がなくなってしまいます。李朝時代の政府軍の兵士さえ物乞いをしながら転勤したというのですから、補給の得られない義兵がどうなるかは想像に難くありません。
自分の生活で精いっぱいという民衆から支援が得られるはずもなく、農村を襲うしかなくなります。農民が警察と組んで「討伐戦」をつくることさえあり、民衆から軍資金を搾り取って身内殺しに走る義兵は、匪賊以外の何物でもありませんでした。
活貧党と呼ばれる農民の武装集団が決起したこともありましたが、結局は日本の商人を襲う、商品を略奪するといった無秩序な行為に終わっています。
東学党や義兵といった運動の背後にあったのは、「衛正斥邪(えいせいせきじゃ)」という名の排外思想や華夷思想でした。それが反日という形で噴出しただけのことで、本格的・体系的な反日運動と呼べるものではありませんでした。
合邦後にも反日運動はあったものの、多くが李朝時代の朋党内紛の延長であって、長続きはしませんでした。大規模だったのは1919年の三・一独立運動で、一時的には各党各派が団結したものの、すぐに分裂して、ソウル、シベリア、上海などに複数の臨時政府ができる有様でした。日本側が彼らを追い出したのではなく、法治国家となった朝鮮での非合法活動が難しかったこと、また外部の支援を得ようという意図もあったと考えられます。
そこでもやはり、共産主義と民族主義が主導権を争って対立する事態が続きます。これは闘争の部隊が外国に移った、いわば場外乱闘のようなものでした。
上海臨時政府の中枢を担った金九(キムグ)や呂運亨(ヨウニョン)、また宋鎮禹(ソンジヌ)といった抗日独立運動家たちは、結局は同胞の手で暗殺される運命をたどりました。反日が目的なら反日で一致団結すればいいものを、最後は身内の殺し合いになってしまうのは、何とも異常です。日本でも坂本竜馬や大久保利通のように同国人に暗殺される例はありますが、韓国のように混乱が長期にわたることはありません。
朝鮮では「二人三党(2人の人間が集まると3つの党派が生まれる)」と言われており、前述したように、ダレ神父も「50人が陰謀を持っていれば、必ずそのうち49人の密告者によってばれてしまう」と指摘しています。党派を組んでは空中分解を繰り返すのは、このような性格によるものかもしれません。