じじぃの「歴史・思想_55_消された歴史・親日派朝鮮人の原点」

「なるほど!そうだったのか~韓国が反日である理由」

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RDBa6dJTMiU

アジアの合衆国を目指して建国された満州国・・・日本の経済政策によってもたらされた繁栄と発展とは

2016/09/06 もも先生のお料理と時事問題
日本は、満州国建国の理念として、「五族協和の王道楽土」を掲げていました。
五族とは、満州人、蒙古人、漢人漢民族)、日本人、韓人のことで、これら民族が一致協力して暮らせる国を目指していました。
また、王道とは中国古代より、武力を以って国を治める者を覇者、その方法を覇道といい、徳を以って治める者を王者、その方法を王道といいました。
王道楽土とは、アジア的理想国家(楽土)を、西洋の武による統治(覇道)ではなく、東洋の徳による統治(王道)で造るという意味が込められていたそうです。
満州国の人口は、急激に増加していき、移民は中国・朝鮮・日本からも来たようで、日本政府はこれを満蒙開拓団と称して奨励し、支援をしたそうです。
http://s.webry.info/sp/oryouridaisuki.at.webry.info/201609/article_6.html

『「親日派朝鮮人 消された歴史』

拳骨拓史/著 PHP新書 2019年発行

戦前、多くの朝鮮人たちは反日から親日に転じていた より

三・一独立運動が沈静化した後も、韓国人たちの日本に対する反発は強く、日本の要人を狙ったテロは国内外で多発した。
その流れを一変させたのは、じつは「満州事変」(1931年9月18日~1932年2月18日)であった。
1924年満州鉄道がおこなった調査では、満蒙地方の朝鮮人は76万6969人とされているが、奥地に散在した大多数は調査に漏れたと考えられ、実数は100万人を遥かに超えていると考えられた。さらに満州にいる小作人の90%は朝鮮人であったという(李東華『起て! 朝鮮人行け! 満州国)。
これだけ多くの朝鮮人が、住んでいた土地を棄てて満蒙に生活の糧を求めたのは、朝鮮国内の生活難、日本統治に対する政治的不満、一攫千金をあてたいという射倖心などが理由であった。
だが満州において朝鮮人は実質的に現地の中国人たちの奴隷的立場に置かれ、移住しても生活は裕福にはならなかった。
さらに彼らは朝鮮人村落を形成していくが、朝鮮総督府による抗日運動の取り締まりが強化され、朝鮮半島での活動が困難になると抗日運動家が潜むようになり、満州やロシアなど朝鮮半島外が独立運動の拠点となっていく。
この両者が合わさることで生活の鬱憤(うっぷん)は日本へと向けられ、「自分たちのこの悲惨な環境は、日本が原因だ」と反日の炎が燃えたぎることになった。
だが、このような最中、万宝山(まんぽうざん)事件(1931年7月2日)が起きる、
これは中国吉林省長春市郊外の万宝山で起きた朝鮮移住民と中国農民の間で起きた開墾地と水路をめぐる衝突事件である。
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明日をも知れぬ生活に喘いでいた朝鮮人たちにとって、満州にいる日本人たちが朝鮮人のために立ち上がり、さらに日本軍が満州を占領したことは、希望の光として映ったのである。
「なんという嬉しい内鮮融和の象徴でありましょう」
日本軍を支援する動きは、日本にいる朝鮮人も同様であった。
当時、『読売新聞』が「感心な鮮人」(1931年10月7日)という記事を、また、『朝日新聞』が「朝鮮人労働者血の義金 感激の義挙いろいろ」(1931年12月1日)、「朝鮮人、ルンペン君などが血の出るような慰問金 本所での募金に1銭銅貨が九円九十銭」(1931年12月2日)と題した記事を掲載したように、日本への出稼ぎにきている日雇いの貧しい朝鮮人が、日本軍を支援するためなけなしのお金を各地で相次いだ。韓国併合から20年を経て、ようやく日本の行動が朝鮮の人々に受け入れられた瞬間だった。
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親日融和団体である相愛会理事であった)朴春琴はこのインタビューに応じた翌年2年21月に開かれた第18回衆議院議員総選挙に、東京4区(定員4名)から出馬している。その際、「朝鮮民族韓国併合以来、畏くも明治天皇の宣(のたま)える『一視同仁』との大御心に感泣して内地人に劣らぬ愛国心を有している。今次紛糾中の満蒙問題についても内地と同胞と等しく2000万朝鮮人は皇国威容の宣揚に務めている。満蒙の地は朝鮮人の先住せる土地であって、もともと支那の領土ではない。我等は満蒙開発の実を挙げ、世界の理想郷としなければならない」と述べた(『読売新聞』1932年1月23日)。
朝鮮人2000万人の代表として立候補した朴春琴の選挙は6966票を獲得し、3位で当選を果たした。朴春琴は朝鮮人初の国会議員となり、朝鮮人参政権朝鮮人志願兵制度を実現すべく活動し、衆議院議員を2期務めあげた。
満州事変は朝鮮人の人々を親日へと転換させる大きな原動力となった側面を忘れてはならない。