じじぃの「科学・芸術_697_ダイアモンド『文明崩壊』」

ジャレド・ダイアモンド 文明崩壊は何故起こるのか 動画 ted.com
https://www.ted.com/talks/jared_diamond_on_why_societies_collapse/transcript?awesm=on.ted.com_s04vz&utm_medium=on.ted.com-none&share=1dbdf455dd&utm_source=direct-on.ted.com&utm_campaign=&language=ja&utm_content=roadrunner-rrshorturl#t-7128
DJared Diamond and wife

What Percentage of the Earth’s Land Surface is Desert?

『文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因』 ニーアル・ファーガソン/著、仙名紀/訳 勁草書房 2012年発行
結論――ライバル同士 より
現在、シュペングラー、トインビー、ソローキンの著作を読む人はほとんどいないだろうが、キグリーの「陰謀説」(ものごとは偶然に発生するものではない)には、一定の支持者がいる。似たような発想の現代版としては、広く読まれたポール・ケネディの『大国の興亡』(1987)がある。これも「歴史は繰り返す」ことがテーマだが、大国の興亡は産業基盤の成長率にかかっており、また、経済規模に見合った帝国維持の費用対効果がカギだとされている。トマス・コールの連作絵画「帝国がたどる道」にも描かれているように、帝国が版図を拡大すると、将来の衰亡のタネを蒔くことになる。ケネディは言う。
「国家が戦略地域を拡大しすぎると、……拡張費用もかさみ、潜在的な利益のだいなしにしかねないリスクを覚悟する必要が出てくる」
この「帝国の過剰拡大」は、ケネディによれば、どの大国にも共通した傾向だ。この本が出版されると、多くのアメリカ人が危惧を抱いた。――アメリカも、同じ病にかかるのではなかろうか。
さらに新しい本としては、文化人類学者のジャレド・ダイアモンドが書いた『文明崩壊』(2005)がある。これは「緑の時代(グリーン・エイジ)」にふさわしい歴史サイクルの物語だ。話は17世紀のイースター島から21世紀の中国まで、自然環境を自ら破壊した結果(あるいは破壊しつつあるため)、自らが破滅する話だ。

                        • -

『文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの』 ジャレド・ダイアモンド/著、楡井浩一/訳 草思社 2005年発行
世界はひとつの干拓 より
わたしの見るところ、過去及び現在の社会が直面する深刻な環境問題は、12のグループに分けられる。12のうち8つは、過去においても顕著だったが、4つ――(5)エネルギー、(7)光合成の限界、(8)有毒化学物質、(10)大気変動――は近年になって深刻化しやものだ。(1)〜(4)は、天然資源の破壊もしくは枯渇、(5)〜(7)は、天然資源の限界、(8)〜(10)は、わたしたちが生み出した、もしくは発見した有害な物質、(11)と(12)は、人口の問題に関連している。最初に、わたしたちが破壊しつつある、あるいは失いつつある天然資源を取り上げよう。自然の棲息環境、野性の食糧源、生物の多様性、土壌の4つだ。
(1) わたしたちは加速度的に、自然の棲息環境を破壊しつつあり、また、それを都市や村落や農場や牧場や道路やゴルフコースなどの人為的な棲息環境に転換しつつある。自然の棲息環境のうち、枯渇が大きく問題視されているのは、森林、湿地、珊瑚礁、海底などだ。前章で述べたとおり、世界にもともとあった森林の半分以上はすでに転用され、現在の速さで行けば、残りの森林の4分の1が今後半世紀のうちに転用されることになる。
     ・
”環境問題が絶望的な結末を迎えるとしても、それは遠い将来のことで、自分は死んでいるから、真剣に考える気になれない”
実際には、現在の速さで進行すると、本章冒頭で分類した12の環境問題の全部もしくは大半が、今の若い世代の人たちが生きているあいだに重篤な状態に陥るだろう。子どもを持つ人間の多くが、わが子の将来の安寧に最大級の関心を払い、時間とお金をそれに注ぎ込む。教育を受けさせるのも、食事と衣服を与えるのも、遺言を書くのも、生命保険に入るのも、すべては50年後にわが子が豊かな生活を送れるようにするためだ。それほどに心を砕きながら、その一方で、50年後の世界が住みにくくなるようなことをするのは、理に合わないというものではないか。
この矛盾に満ちた行動を、じつはわたし自身もかつてとっていた。わたしは1939年生まれだが、自分の子どもが生まれるまえまでは、2037年の世界に影響を及ぼしそうな事象――地球温暖化とか、熱帯雨林の消失とか――を他人事のように思っていたのだ。その年まで自分が生きているはずがないから、2037年という数字自体が非現実的なものだった。ところが、1987年に双子の息子が生まれて、妻とふたり、世間の親並みに学校のことや生命保険のことや遺言のことで頭を煩わせ始めたとき、はっと気づいた。2037年には、この子どもたちが今(当時)のわたしと同じ50歳になる! 架空の年ではないのだ! その年までに地球に住むに値しない場所になっているとしたら、せっせと遺産を残してもなんの意味があるのだろう?
第二次世界大戦のすぐあと、ヨーロッパに5年住み、その後、日本人の血を引くポーランド人と結婚したわたしは、両親がわが子のことを気遣い、けれどわが子の将来のことを気遣わなかった場合、どんなことが起こりうるかを間近に見てきた。わたしのポーランド人、ドイツ人、日本人、ロシア人、イギリス人、ユーゴスラビア人の友人たちの両親は、近年の妻やわたしと同様、生命保険に入り、遺言を作成し、わが子の学校のことで頭を悩ませた。なかには、莫大な財産を引き継がせるつもりの裕福な親もいた。なのに、わが子の将来への配慮が足りず、彼らは第二次世界大戦という災厄に足を踏み入れた。その結果、わたしと同じ年に生まれたヨーロッパや日本の友人たちは、孤児になったり、幼くして両親もしくは一方の親と離れ離れになったり、爆撃で焼け出されたり、就学の機会を奪われたり、財産を失ったり、戦争や収容所生活のみじめな記憶をかかえた親に育てられたりという、さまざまな挫折を味わった。今年のわたしたちの将来への配慮を書いた行動をとった場合、子どもたちに襲いかかる最悪のシナリオは、戦争とは別の、しかし同じくらい不愉快なものになるだろう。
よく聞かれる寸言のなかで、ここまで検討してこなかったものがふたつある。”イースター島、マヤ、アナサジ(北アメリカプエブロ人の祖先)など、崩壊した過去の社会と現代社会のあいだには大きな違いがあるのだから、過去から得た教訓をそのまま当てはめるわけにはいかない”、そして、”誰も手だしができないほど強大な政府や大企業が取り仕切っている世界で、個人としての自分に何ができるのか?”
     ・
過去と現在の根源は、イースター島ヘンダーソン島やアナサジやマヤやノルウェーグリーンランドの崩壊から現代社会が教訓を得られるほどに近いのだろうか? 反環境保護論者は、明らかな違いに目を留めて、こう言い立てたくなるだろう。「大昔のそういう崩壊が今の世界と、特に現代のアメリカと結びつくなんて、考えるのもばかばかしい。昔の人間が夢にも描けなかった科学という武器を、われわれは持っていて、環境にやさしい新技術で問題を解決することができる。昔の社会派、気候変動の影響を受けるという不運に見舞われた。無節操に森の木を切ったり、蛋白源である野性棒物を獲り尽くしたり、表土をみすみす流されたり、水不足になりそうな乾燥地に待ちを造ったり、いろいろ愚かなまねをして、自分たちの環境を壊した。本を読んで歴史を学ぶということもできないから、短慮な指導者たちが権力を維持することだけを考えて、足もとの問題に注意を払わず、金のかかる戦争に住民を巻き込んでは、社会の基盤を危うくした。近隣の社会が次々崩壊すると、飢えた難民の群れが押し寄せて、崩壊していない社会の資源を貪った。そういうすべての面で、われわれ現代人は根本的に古代人とは違っていて、学べるものなど何もない。とりわけ、世界でいちばん豊かで強い国であるアメリカは、どこよりも生産的な環境と賢明な指導者と強く忠実な同盟国に恵まれ、恐れるに足りない弱い敵しかいない。過去の社会を襲った悪いことが、起こる要素がないのだ」
そう、過去の社会が置かれた状況と今日のわたしたちの状況とのあいだに大きな差があることは事実だ。