じじぃの「科学・芸術_671_アメリカの20世紀・レーガンの時代」

STAR WARS - Strategic Defense Initiative 動画 YouTube
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"Star Wars" Program


レーガン 世界史の窓
アメリカ合衆国第40代大統領。1980年代、強いアメリカ、小さな政府をめざし、ソ連に対しても強硬姿勢をとり、新冷戦といわれた。
ロナルド=レーガン Ronald Reagan はアメリカ合衆国の1980年代の大統領。在任1981〜89年。共和党。1980年の大統領選挙で民主党のカーターの再選を阻止して当選した。映画俳優であったレーガン(映画俳優時代は日本では「リーガン」と言われていた)は、西部劇の二流スターに過ぎなかったがハリウッドの俳優労働組合の委員長を経験するうち、反共産主義の急先鋒となっていった。1960年代に民主党から共和党に転じ、保守派の中心人物となってカリフォルニア州知事を経てその派手なパフォーマンスによって国民の耳目を集めた。大統領となったのは69歳でそれまでの大統領で最高齢、そして離婚経験(女優ジェーン=ワイマンと離婚。彼女はアカデミー主演女優賞も獲得した有名女優だった)のある最初の大統領となった。
https://www.y-history.net/appendix/wh1701-088.html
『空の帝国 アメリカの20世紀 (興亡の世界史)』 生井英考/著 講談社 2006年発行
幻影の戦場 より
SDI計画(戦略防衛構想)は、まるで神のお告げにでもあったかのような大統領のひらめきによる突然の発表であったことが知られるにつれて、ロナルド・レーガンという人物ならびに彼が体現するアメリカ大衆文化の本質に関わる象徴的な問題を惹き起こした。わかりやすくいうと、レーガンという元ハリウッド俳優の政治家は本当に現実を認識しているのか、ひょっとしたら現実と幻想を混同しているのではないか――という疑いを呼び覚ましたのである。
実際問題としていえば、こうした疑念にハリウッド映画界に対する知識人の揶揄的な見方がいくぶんは繁栄されていたことは間違いない。レーガンが出演した映画の大半は勧善懲悪の単純明快な物語であり、彼自身も国際的な大スターには手の届かなかった凡百の青春スターのひとり――ただしその限りではなかなかの人気者だったが――に過ぎなかったからである。
たとえば彼よりも3歳年長に当たるジェイムズ・スチュアートは第二次大戦が始まったときすでに『スミス都へ行く』などの主演作で世界的に知られたスターだったが、率先して陸軍航空隊に入隊し、映画スターの戦死を怖れる軍上層部の制止を振り切って爆撃隊を志願。自分を戦争宣伝に利用しようとする軍の意向には逆らい通してB-24爆撃航空団の指揮官として終戦までに20回の爆撃行をおこない、最後は一兵卒から大佐にまで昇進した本物のヒーローだった。しかしレーガンのほうはカリフォルニアを離れることすらほとんどなく、あくまで映画のなかでイメージとしてのヒーローを演じたに過ぎない。
しかし裏返していえば、だからこそレーガンという人物はアメリカ大衆の願望や無意識の希求をより率直かつ象徴的に反映し、体現した存在なのだと見なすこともできる。つまり、もしもレーガンが現実と幻想を混同しているのだとしたら、その彼を大統領に選んだアメリカ社会自体が心理学でいうところの一種の退行状態を起こしているのではないか、いわば現実からの逃避願望のなかに入りこんでいるのではないか、という問題の立て方が可能になるのである。
これはなるほどあり得ない話ではなかった。たとえばSDI計画の社会的な起源のひとつは、アイゼンハワーからケネディに引き継がれた冷戦時代の宇宙開発計画である。アメリカにおける宇宙開発は第二次大戦末期に実用化の始まったドイツのロケット技術を移植したところに始まり、それが一方ではロケット推進式ミサイル、他方ではロケット航空機に分かれて進んだところでソヴィエトとの宇宙開発競争が始まった。それまで核兵器開発では一歩も二歩も先んじてきたアメリカが宇宙に関してはつねにソヴィエトに先んじられ、1957年にソヴィエトが人類初の宇宙衛星を打ち上げた「スプートニク・ショック」以来、アメリカの宇宙開発意欲はほとんど強迫的といってもいいような様相を呈した。
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現代の目からふりかってみれば、レーガンがソヴィエト相手に仕掛けたBMD配備構想(SDI計画)による冷戦終結のためのきわどい駆け引きは、なまじ冷戦がソヴィエト側の自滅によって終っただけに、かえって危険な影響を残しているといえる。実際、その発想はジョージ・W・ブュシュ政権にまで引き継がれ、かえって厄介なかたちで人々の思考を縛り、影響を与え、今後の歴史を危うく左右しかねないものとなっているのである。
大統領としてのレーガンは、きわめて印象的だが内容は曖昧という演説の多い指導者だった。どんなときにもにこやかな笑みをたやさず、ちょっと小首をかしげるようなしぐさで「さて(ウェル)……」と切り出す。ケネディのように知識人を惹きつける知的な洒脱(しゃだつ)と洗練はなかったが、広い肩幅と押し出しのよさがアメリカふうの平俗さを醸し出し、首脳外交でも位負けしない不思議な余裕を感じさせた。レーガンの1980年代は、しばしば「多幸症の時代」と呼ばれた。「ユーフォリア」(euphoria)とは、「多幸症」と訳される理由のない幻の陶酔感のことで、客観的には幸福でないはずの状態でなぜか幸福感にひたってしまう状態を指す。現に1980年代は巨額の財政赤字貿易赤字によるいわゆる「双子の赤字」に苦しみ、高い失業率と犯罪状況に悩みながらもなぜか大統領への支持率は落ちることがなかった。なにしろこの政権は、政策に対する支持率は低くとも、大統領個人に対する支持率は高いままという不思議な状態を演じたのである。