じじぃの「科学・芸術_654_インド・香辛料(コショウ)交易」

The Malabar Coast 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BjY4hNPXRX4
The Malabar Coast of South India

『人類はどこへ行くのか (興亡の世界史)』 杉山正明、大塚柳太郎、福井憲彦/著 講談社 2009年発行
人間にとって海とはなんであったか より
インド半島の歴史的な役割は、インド洋を空間的に東西2つ(東のベンガル湾と西のアラビア海)の海域に分断すると同時に、両者を統合するという両義的役割にあった。その先端に位置するのが、熱帯降雨林地帯を含むマラバール地方である。アラビア海の夏の南西モンスーンも、同地方にむけて吹きわたる。しかもそこは、古代からインド洋交易の代表的な熱帯産品=コショウの原産地であった。つまりマラバールはインド洋を東西に分断・統合するだけでなく、それ自身がコショウというもっとも重要な湿潤熱帯産品の産出地として、ヒトを誘引する誘蛾灯の役割を果たしてきたのである。インド洋海域世界は、このような多重的な意味をもつマラバールを結節場として形成される。
インド洋を活発な「交流の海=海域世界」へと変えていった主体は、「中洋」に拡散したコーカソイドと「東洋」に拡散したモンゴロイドであった。彼らは、マラバール地方を交会・結節場として、広大なインド洋海域世界を編成していく。
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『エリュトゥラー海案内記』(1世紀にエジプトを拠点として活動していたギリシア系商人が、紅海・アラビア海の貿易事情を記録した書物)は北西インドの港町バリュガザに数節をあてて、くわしく説明する。それは、「インドの門戸」ともいうべき当時の重要性を示している。北のバリュガザとならぶ港市として語られているのが、マラバール海岸に位置するムージリスである。同書第54節は、「ムージリスも……(アラビアや)ギリシャの船によって繁栄している。それは河に臨んでいて、……[河口]からそこまでは20スタディオンである」(蔀勇造訳)と述べている。ムージリスは、現在ではインド半島西部のマラバール海岸に位置するパッタナムに比定されている。この記載は、ムージリスがギリシャを含む西方世界との交易拠点として繁栄していたことを語っている。
また第56節は、ムージリスをふくむマラバール地方の重要な輸出商品を列挙する。その筆頭にあげられているのが、「大量のコショウ」である。マラバールは、前述したようにコショウ原産地であり、当時はコショウの独占的な供給地であった。その輸出商品リストには、マラバール産以外のものも含まれている。ガンジス川流域からのナルドス(香料の一種)、内陸部からのニッケイ・透明石(宝石類)、ダイヤモンド・サファイア、さらにクリューセー島(マレー半島付近)産の鼈甲(べっこう)などである。これらの記載は、マラバール地方が地元産の香辛料などにくわえて、ガンジス川流域さらには東南アジアの諸産品の集散地でもあったことを語っている。マラバールは、インド洋海域世界を分断し統合する役割をはたしていたのである。