Ancient Rome in 20 minutes 動画 YouTube
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Ref Augustus AE As, RIC 230, Cohen 240, BMC 550
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『貨幣が語る-ローマ帝国史-権力と図像の千年』 比佐篤/著 中公新書 2018年発行
古代を受け継ぐもの――貨幣からみるキリスト教
ローマ帝国内で信仰を広げていったキリスト教は、イエスの教えに基づいた信仰であるが、もともとユダヤ教に端を発する。イエスはユダヤ教徒として信仰のあり方を問うた改革的な指導者であった。結果として、その主張ゆえに当時のユダヤ教徒の指導者の怒りを買い、叛逆を企んでいると密告され、処刑されてしまった。けれどもイエスは蘇ったと信じられ、ユダヤ教徒内の信者たちに救世主(メシア)、すなわちキリストと崇められた。ここにキリスト教が始まる。やがてキリスト教は、徐々に信者を拡大して、ついに4世紀初めには公認されるに至る。
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キリスト教は伝統的な思想を継承しただけではない。それを昇華させて魅力あるものと示しえたからこそ、人々から受け入れられたのであった。
やがてローマて国は東西に分裂し、西ローマ帝国は5世紀末に滅んでしまった。その西ローマ帝国最後の皇帝であるロムルス・アウグストゥルズの貨幣には、表面に肖像を、裏面に十字架を大きく描いたものがある。表面はローマ帝国の象徴であり、裏面はキリスト教の象徴である。
キリスト教は、古代地中海世界では異端視されながらも、ローマ帝国の国教にまで地位を高めた。やがて、ローマ帝国の思想を継承しつつ新たな「権威」となり、西ローマの滅亡後には新たな精神的支柱となっていく。この貨幣は、そうした変わりゆく時代を暗示しているとも言えるのではなかろうか。
おわりに
両者(西ローマと東ローマ)の立場に違いはあれども、貨幣に願掛けを行なっているといえる。そもそもこうした性格は、ローマの貨幣に古くからうかがえるのではないだろうか。共和政期の政治家たちは、自己宣伝の図像を貨幣に描いて政界での栄達を願った。やがてアウグストゥスによって地中海世界が統一されると、皇帝たちは自分の即位の正当性と親族間での帝位継承を、自身や親族を描出した貨幣の製造によって訴えた。ローマの勢力下に入った諸都市は、そうした皇帝たちを讃えたり、ローマ文化の一員であると示す貨幣を造って、ローマに目をかけてもらうように期待した。東西に分裂したローマ帝国は、それぞれ異なった道を歩む。それでも、貨幣に自身の思いを込めるという長きにわたって続いたローマの伝統は、この時代まで残りつづけたのである。
最後にもう1つ、後世まで受け継がれたローマの伝統を見ておこう。ローマ皇帝を描いた貨幣にしばしば、PONT MAXと記されている(図.画像参照)。
アウグストゥスを描いたこの貨幣にも、表面の右側にPONT MAXという文字が見える。これはPontifex Maximusの略称であり、大神祇官という公職を指す。その名のとおり、ローマの神官の頂点に立つ公職である。実はこの名称は、現在にまで受け継がれており、歴史的に長きにわたって貨幣に記されてきた。
その貨幣の1つを見てみよう。表面の1番下にPMという文字が見える。描かれている肖像は、そのまわりに書かれている名前の人物を描いたものであろう。その名前とはユリウス2世である。ユリウス2世は、ミケランジェロに対してヴァチカンのシスティナ礼拝堂の天井がである『天地創造』を描くように命じたローマ教皇として知られている。実はローマ教皇の正式な称号にはローマの大神祇官が含まれている。貨幣に職名を記すという伝統派、その職名そのものとともに受け継がれたのである。
なお、裏面には船の上に2人の聖人が乗って網で漁をしている。そのまわりには「永遠の救済の船(NAVIS AETERNAE SALVATI)」と記されている。左側の網を引いている人物は、もともと漁師であったがイエスの弟子となり布教活動を行ったペトロス(ペトロ)とされる。ペトロスは初代ローマ教皇と見なされており、この船はローマ・カトリック教会の暗喩でもあろう。