じじぃの「科学・芸術_589_フランスの精神分析・心の治療」

映画『親密すぎるうちあけ話』予告編 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TXMWN3sA8JY

青い夢の女 (2000) Yahoo!映画
●解説
様々な悩みと不安を持つ患者を抱えている精神分析医のミッシェルは、患者の一人である人妻オルガに惹かれていた。
窃盗癖とマゾヒスティックな性癖を持ち、夫マックスから受ける暴力によって悦びを感じるオルガ。彼女の告白はミッシェルの心をかき乱し、自らも別の精神科医のもとへ通うほどだった。雪の降り積もるある日、いつものようにオルガから暴力による快感の話を聞いていたミッシェルは深い眠りに落ちてしまう。そして、彼女を殺してしまうという悪夢から目が覚めた時、そこにはオルガの冷たくなった死体が横たわっていた……。

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親密すぎるうちあけ話 (2004) Yahoo!映画
●解説
髪結いの亭主』のフランスの名匠パトリス・ルコント監督が、孤独な男女のおりなす感情の駆け引きを描いたロマンティック・コメディ。ルコント監督作『列車に乗った男』に続き全米中でロングランを記録した話題作。
灯台守の恋』のサンドリーヌ・ボネールと『バルニーのちょっとした心配事』のファブリス・ルキーニが、愛に傷ついた男と女を人生の哀歓を漂わせながら軽妙酒脱に演じる。上質なユーモアに富んだ大人のための寓話。

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『現代フランス社会を知るための62章』 三浦信孝、西山教行/編著 赤石書店 2010年発行
精神分析 心の治療と探求 【執筆者】番場寛 より
フランスにおける「精神分析」の歴史の概略を精神分析史家のルディネスコによりたどってみよう。フランスには20以上の団体に属する5000人の精神分析家がおり、これは人口100万人あたり86人の分析家がいることになり世界で1位である。研修生も含めるとそのうちのおよそ800人から900人は「国際精神分析協会(IPA)に属する「パリ精神分析協会(SPP)」と「フランス精神分析協会(APF)」という組織に属している。それ以外の分析家は1964年にジャック・ラカンによって設立され、1980年に解散させられた「パリ・フロイト学派(EFP)」から派生した団体や協会(ラカン派)に属している。
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精神分析がフランス人にとっていかに日常的なものであるかは、映画にも表れている。ここでは2つの作品を紹介しよう。
ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画『青い夢の女(Mortel transfert)』(2000年)は、最初から最後まで精神分析が舞台となっており、フランスにおける精神分析の現状の一端をみせてくれる。この映画は『死の転移』という原題からもわかるように、患者と分析家に起こる転移という現象が基本モチーフとなっている。
この映画で分析家は、無傷で高みから患者を分析する者ではなく、自らも転移に巻き込まれ、苦しむ姿がわかりやすく描かれている。この映画の中で主人公の分析家を分析する別の分析家はいう「この世は『ジャングルだ』と君はいった。その『叫び』を聞くのが君の使命かもしれない。人間であることを恥じなくてよいと人間に教えるべきだろう。楽な職業ではないかもしれない。つまるところ精神分析家は『聖人』だ」と。つまり人間をその欠点をも含めてありのままに浮け入れられるように導くのが精神分析であることを直接的に語っている。
またパトリス・ルコント監督の『親密すぎるうちあけ話(Confidences Trop Intimes)』(2004年)では以下のように進行する。
治療を受けるため精神分析家の部屋を訪れるはずだった人妻は、部屋を間違えて、税理士の事務所を訪れ、冷え切った夫との関係を打ち明ける。税理士は相手が人違いしていることに気づくが、打ち明ける機会を失したまま精神分析家の役を演じつづける。
事実がわかったのちも、2人は分析にも等しい面接を続ける。2人は、やがていったん分かれるが、何年かのち再開し、人妻は相手が分析家でないとわかっているのに寝椅子に横たわり、打ち明け話を始める。
この映画は偽の分析家という設定であるが、それゆえにかえって精神分析の本質を教えてくれているように思える。分析家でない自分が、このままその人妻の分析を続けてよいのだろうかという主人公の相談に対し、本物の分析家は、「患者の大半は不満を訴えにくる。今は誰も人の話を聞かない」という現状を指摘し、実際は税理士であるのに分析家のようにその人妻の話に耳を傾ける主人公のことを、「彼女は『理想の耳』を得たのだ」と説明する。
つまり、分析主体(被分析者)が分析家に対し、相手は自分の知らない自分についてのことを絶対わかってくれるという信頼(ラカンはこの場合の分析家を「知っていると想定された主体」と名づけた)を抱いて語るときに「転移」が機能するということをこの映画は描いていると思われる。
現代のフランスにおいて精神分析的言説がいかに日常的なものになっているかは、2002年に行われた大統領選挙のキャンペーンの仕方を批評した週刊誌『ル・ポワン』(2002年3月29日号)にもみることができる。その号の表紙には「シラク-ジョスパン、言い落とし、彼らの情動、彼らの弱点、彼らの言い落とし、精神分析家たちによる診断」という言葉が彼ら2人の写真に添えられている。政治の精神分析という副題のつけられたその特集記事では、実際の精神分析は、寝椅子に横たわった被分析者の語りに共に耳を傾けることからのみ可能だということが、あらかじめ述べられたうえで、2人の候補の分析がなされている。
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今なお機能している治療方法であると同時に、人間そのものへの飽くなき探求心、心というとらえどころのないものを可能な限り合理的に説明したいという憧れのもとに、人間の行動やあり方を記述したモンテーニュパスカルに始まる「フランスのモラリスト」の伝統を引き継ぐものとしての精神分析を考えることもできるのではないだろうか。