じじぃの「科学・芸術_544_文明・印欧祖語の原郷」

[HD] INDO-EUROPEAN ORIGIN 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DpbjquTQT98
Indo-European Language: The Origin

ポントス・カスピ海ステップ

『馬・車輪・言語(上) ─文明はどこで誕生したのか』 デイヴィッド・W・アンソニー/著、東郷えりか/訳 筑摩書房 2018年発行
印欧祖語の原郷の場所―言語と場所 より
本章は印欧祖語の原郷の場所について、言語学的な証拠を挙げてゆく。この証拠は私たちを、踏みならされた道を通って馴染み深い目的地へと連れてゆくだろう。今日のウクライナとロシア南部に相当する黒海カスピ海の北にある草原であり、ポントス・カスピ海ステップとしても知られている場所だ(図.画像参照)。マリア・ギンブタスやジム・マロリーをはじめとする一部の学者は、過去30年にわたってここを原郷とする説得力のある主張をしてきた。それぞれいくつかの重要な細部が異なる基準を用いているが、多くの点では同じ根拠から同じ結論に達している。近年の発見は黒海カスピ海仮説をいちじるしく強化したもので。ここが原郷であるという仮説は無理なく推し進められる、と私は考える。
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物質文化の具体的な品目リストと、権力の差異が制度化された社会を探しているのだとわかることは、印欧祖語の原郷を突き止めるうえで大いに役立つ。前2500年まで狩猟採集民の経済が存続していた地域はすべて、除外することができる。それによってユーラシア北部の森林地帯とウラル山脈以東のカザフのステップは除外される。ウラルの東部にはミツバチがいないので、シベリアはどこも対象外となる。再建された語彙に見られる温帯の植物相と動物相、および地中海や熱帯の動植物とは共通する語根がないことから、熱帯、地中海沿岸と近東は除かれる。印欧祖語はウラル諸語とのあいだに、非常に古くからのつながりを示しており、そこに印欧祖語からウラル祖語に借用された、より新しい語彙が重なっている。印欧祖語には前カルトヴェリ語またはカルトヴェリ祖語とのあいだには、さほど明確でないつながりが見られる。こうした要件はすべて、印欧祖語の原郷がウラルとカフカースの両山脈のあいだで、ウクライナ東部とロシアのステップにあり、ウラル山脈以西にあったと考えれば見合うことになる。再構築された印欧祖語内部の一貫性――文法と音韻体系の根本的な変異が内部にあったことを示す証拠がないこと――は、この言葉が繁栄する言語史の区間は2000年未満であることを、おそらくは1000年に満たないことを示している。印欧祖語の時代の中心は、前4000年から前3000年のあいだであり、その初期段階は前4500年まで遡り、後期段階は前2500年前までにおわったのかもしれない。
考古学からは、カフカースとウラルの両山脈のあいだの、黒海カスピ海北部のこの時代のステップ地域に関して何がわかるのだろうか? まず、考古学からは再建された語彙のすべての要件を満たす一連の文化があることが明らかにある。そこにいた人びとは家畜化された馬、牛、羊を生贄にし、穀物を少なくともときおり栽培し、ワゴンを利用し、葬送儀礼では制度化された身分格差を表わした。彼らは世界のなかでもひときわ、空が景観の最も印象的で壮大な部分を占める地域――ステップ――を占有していた。自分たちの最も重要な神々はみな空に住んでいると信じていた人々に、ふさわしい環境だ。この地域から東西の近隣地域へ人々が移住した証拠は、考古学的によく立証だれている。