じじぃの「人の生きざま_776_西城・秀樹(歌手)」

西城秀樹 YOUNG MAN (Y.M.C.A.) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=p4DKjUJcHL8
西城秀樹 YOUNG MAN

西城秀樹さん告別式、郷ひろみが弔辞を読んだ「理由」 2018.05.31 ビジネスジャーナル
5月16日に急性心不全のため亡くなった歌手の西城秀樹さん。
2度の脳梗塞と戦った“永遠のヤングマン”の物故を、テレビのワイドショーや新聞、週刊誌は大々的に報じた。とりわけテレビのワイドショーは26日に行われた西城さんの告別式を中継し、かつて“新御三家”と呼ばれた盟友の野口五郎郷ひろみが弔辞を読むシーンを放送。参列者だけではなく、視聴者の涙を誘っていたのは記憶に新しい。
http://biz-journal.jp/2018/05/post_23546.html
文藝春秋 2018年7月号
蓋棺録 「西城秀樹(さいじょうひでき)」 より
歌手・西城秀樹(本名・木本龍雄)は、躍動感あふれる歌唱スタイルで広いファン層をつかみ、脳梗塞を患ってからは、リハビリを続けながら多くの人たちを励ました。
最初に脳梗塞の症状が現れたのは、48歳、韓国済州島でのディナーショーの最中だった。だるさを感じ、顔に違和感があり、ロレツが回らなくなった。この時からリハビリとの闘いが始まった。
1955年(昭和30)年、広島に生まれる。実家はパチンコ店を経営していた。小学生のころからドラムを叩き、兄とバンドを結成。高校1年のとき家出同然で上京して、72年に『恋する季節』でデビューする。74年、「やめろと言われても」のフレーズで始まる『激しい恋』がヒットして、野口五郎郷ひろみと「新御三家」と称される。
180センチを超える長身を、激しく動かし歌うスタイルは、当時の歌手には珍しかった。74年に『ローラ!』と絶叫する『傷だらけのローラ』で紅白歌合戦に初出場を果たす。
観客を巻き込み歌い踊る79年の『YOUNG MAN(YMCA)』は、80万枚を超える大ヒットとなった。
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73年に始まったハウス・バーモンドカレーのCMでは、「ヒデキ、感激!」の決め台詞が流行語になった。
人気の割には女性問題が少ないと言われたが、89(平成元)年から12歳年上の女優・十朱幸代と熱愛。何度も結婚間近との報道があったものの別れた。その後、独身を続けて2001年、46歳で18歳年下の女性と結婚し、翌年には女児を得る。
ところが、結婚の2年後、脳梗塞を患って後遺症が残った。それまではサウナが好きで、タバコも1日4箱を吸っていたが、生活を変えてリハビリに取り組み、「歌を取り戻すことができた」。しかし、8年後の再発で症状が重くなり「死んだも同然」と憤る。
さらなるリハビリの支えとなったのは、「3人の子供の成人を見届ける」という希望だった。「病気をして価値観が変わりました。季節の移り変わりを感じ、景色の美しさに感動するようになった」。
リハビリの甲斐あって、2016年には「ステージに年70回くらい立った」。ただし、YMCAのCのポーズで左側に体重をかけるさいには、「ふらつかないように気をつけた」という。
それでもなお歌手としての活動を続けるヒデキに、多くの人が声援を送り、多くの人が励まされた。「ぼくはこの2度の脳梗塞に、実は感謝しているんです」。(5月16日没、急性心不全、63歳)