じじぃの「科学・芸術_498_気候変動・ミランコビッチ理論」

The Milankovitch Cycles and Climate Change 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PFfwIOzVlh8
周期変動 (stat.ameba.jp HPより)

研究者列伝 ミルティン・ミランコビッチ② さまようブログ
前回の記事 で示したグラフは極めて単純化したもの(というか、考え方を示しただけのもの)で、実際にミランコビッチが示したのは以下のような図でした。
https://ameblo.jp/mushimushi9/theme3-10019212847.html
『チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る』 大河内直彦/著 岩波書店 2008年発行
周期変動の謎 より
では、過去の地球の気候変動が実際にミランコビッチ・フォーシングによって支配されていたかどうかを知るには、どうすればよいのだろうか? 一見、これは簡単なことのように思えるかもしれない。堆積中に保存されている酸素同位体比など、気候変動の記録を周期解析して、それにミランコビッチ・フォーシングに見られる周期性が強く見出されるか同化をチェックすればよいのだ。ところがじつは、これがなかなか一筋縄ではいかないのである。それはひとえに、海底堆積物の年代を正確に決定することが非常に難しいからだ。
現在、海底堆積物の年代決定に一般的に用いられている放射性炭素年代法は、半減期が6000年弱であるため、過去5万年前までにしか適用できない。半減期の長いウランやトリウムなどの放射性元素は、堆積中に含まれてはいるものの、海洋における挙動が複雑なため正確な年代測定には適していない。
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結局、堆積物中に確かな年代を示すポイントは、地磁気が反転した78万年前までさかのぼらないと見当たらない。現時点において、5万年前から78万年前は、海底堆積物の年代を直接的に決定できない「空白期間」なのである。堆積物の年代が決められない以上、ミランコビッチ理論の証明は難しい。そして実証できないミランコビッチ理論は、数多くの反論にさらされ、また別の仮説に挑戦され、1970年頃にはもはや風前の灯になっていた。
イェール大学のリチャード・フリントは、このミランコビッチ理論にもっとも強力に反論した地質学者である。だからといって、フリントが古式ゆかしい研究者だったわけではない。フリントは、放射性炭素年代法を氷河時代の年代決定にいち早く応用した、「進歩的な」地質学者でもあった。放射性炭素年代法が確立された直後の1950年代、フリントは当時すでにアメリカの氷河時代の研究においてリーダー的な存在であった。彼は、最終氷期にローレンタイド氷床によって運ばれてきた木片、骨、有機物など、氷河期時代に関わるさまざまな物質の放射性炭素年代を誰よりも早くから測定していった。その結果、各地に分布する温暖な気候に形成されやすい泥炭地の一部が、ミランコビッチ理論によると、もっとも日射量が小さいはずの2万5000年前に形成されていたことを見出した。放射性炭素年代という当時最新の技術を用いた結果をもとに、フリントがミランコビッチの考えに強固に反対したことから、ミランコビッチに賛同する地質学者は少なかった。
この状況を一気にひっくり返したのは、ブラウン大学のジョン・インブリ―が率いるチームであった。彼らは、南インド洋で採取された2本の海底コアの詳細な酸素同位体比や、微古生物記録の周期解析を行なった。彼らの研究は、それまでと同様の仮定をおいた上での議論なので、本質的に問題が解決されたわけではない。しかし、周期解析に適した海底コアを注意深く選択し、ベルギーの天文学者アンドレ・ベルジュによって綿密に計算し直された入射エネルギーのデータを用い、さらにそれまでに発表されたどの論文よりも、数学的に厳密な周期解析法を適用した。その結果、10万6000年、4万3000年、2万4000年、1万9000年という、ミランコビッチ・フォーシングに見出されるすべての周期を、はじめて海底コア中の地質記録から見出したのである。
この論文のインパクトは大きかった。これ以降、古気候学者や気候学者のあいだでは、氷期と関氷期という気候変動のサイクルが、主としてミランコビッチ・フォーシングによって「生み出されたものであると広く認められるようになる。彼らの論文は、ミランコビッチの死後20年近く経った、1976年に発表された。この論文が発表された年は奇しくも、ミランコビッチ理論に強力に反対したフリントが亡くなった年でもあった。