じじぃの「科学・芸術_472_日本の企業・任天堂」

Super Mario Olimpiadas do Rio (encerramento)
動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=_b8esvJ5Suw

Super mario

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Super Mario 3D World for Wii U
http://supermario3dworld.nintendo.com/

2017年度の時価総額ランキング、増加額首位は任天堂
2018/3/31 日本経済新聞2017年度、株式市場に最も愛された企業はどこか――。時価総額の増減でランキングしたところ、絶対額を増やしたトップは家庭用ゲーム機が大ヒットした任天堂だった。
ソニーも4位にランクイン。かつての株式市場の人気銘柄が主役復帰を果たした1年になった。一方、減少額上位には市場の縮小が懸念される銘柄が顔を並べた。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28804200Q8A330C1DTA000/

任天堂 “驚き”を生む方程式』
井上理/著 日本経済新聞社 2009年発行
カリスマ山内の「直感経営」 より
山伏の総本山、京都・聖護院のほど近くで、日本一の富豪は健在だった。(2013年死亡)
車1台がやっと通れるほどの細い路地を行き、長い塀に囲まれたお屋敷の門をくぐる。高級旅館と見ちがう立派な玄関には「大器」という書が大きく掘られた木版などの骨董品が並んでいる。応接間へと歩を進めると、眼前に広がるのは秋の小京都。手入れが行き届いた中庭の木々は、燃ゆる紅色に色づき、名状しがたい光景を醸している。
2007年冬、家主はそこへ、しっかりとした足取りで現れた。任天堂の中興の祖、3代目社長の山内薄である。
春秋に富む岩田聡(社長、元プログラマー)を2002年5月、後継に指名して、相談役に退いた。以降、聖護院近くの自宅で隠居生活を送っている。
「僕はもう、任天堂を一応辞めたんやからね。社長を辞めた人間がばんばん喋っていたらおかしいでしょう。辞めた以上はやっぱり、現職の連中が喋らないと」
そう言って、引退後は任天堂に関する取材を固辞してきた山内。しかし、山内の眼光は今なお鋭い。任天堂の経営に関する重要な事項を今でもファクスを通じて常時把握し、岩田をはじめとする経営陣に対して絶大な影響を及ぼしている。
やはり、昔も、今も、任天堂に関するすべての人間にとっての”カリスマ”なのである。
山内のカリスマ性は、誰にもマネできない「直感」が生み出している。プレゼンテーションや戦略立案にデータを多用する岩田は、山内をこう評する。
「とにかく山内さんってすごい人なんですよ。ものすごく直感が鋭くて、何でこんなことわかるの? ということをズバっと言い当てるんですね。引退してからも、たまに電話で話しますと、何でここがわかるかなぁ、明日帰ってきても社長できますよ、って思うくらい鋭い。で、私は直感で勝負したらアカンなと思いましてね」
山内とは不思議な人物である。岩田のように無類のビデオゲーム好きというわけでも、宮本茂代表取締役フェロー、「スーパーマリオシリーズ」などを開発)や横井軍平任天堂開発部部長、「ゲームボーイ」などを開発)のように生粋のクリエイターというわけでもない。現役時代、経営判断のためにゲーム機を触ることはあっても、それ以上に遊ぶことはなかった。
引退してからも、DS(Dual Screen)やWii(ゲーム機用のリモコン)の存在や内容は十分に知っているが、自身で遊ぶことはない。にもかかわらず、ヒットするか否かの目利きは誰よりも鋭く、時折、まるで千里眼を持ち合わせているかのような恐るべき示唆を、現場に与える。
「2つのゲームを同時に遊べないか」
1980年に発売したゲーム&ウオッチのヒットを見た山内は、続編の開発に専念する横井にそう言った。山内の言葉は絶対だ。だが、ゲーム&ウオッチの液晶は、現在のようにどんな絵柄も映し出せるものではなく、あらかじめ決められた絵柄しか出すことができない。2種類のゲームを1画面に収めるのは、そうとうに難しく、コストも高くつく。
そこで横井は、2つの液晶画面を上下に配置した「マルチスクリーン」のゲーム&ウオッチ《オイルパニック》を開発した。同じゲームだが、2つの画面はそれぞれ違う絵柄で違う動きをするため、2つのゲームが収録されているようなもの。このマルチスクリーンは、シリーズ最大のヒット作、ドンキーコングへとつながった。
娯楽に徹せよ、独創的であれ より
前述の通り、任天堂には明文化された社是、社訓のようなものがない。山内は語る。
「企業理念という言葉は僕は嫌いだから、そういう言葉に対しては抵抗があります。評論家か経営者かわからんような経営者が増えてきて、そういう人たちの本も出ている。しかし、それを読んでいったい何になるんです。参考になるかもしれないが、それでは経営者として大成しないと思う。やっぱり自分で考えないと。だから、そういう言葉は使いません。しかし当然、考えがなかったら経営はできませんからね」
その山内の考えは、岩田をはじめとする継ぐ者たちに、口述で伝えられてきた。「任天堂らしさ」を形作るすべてが、山内の門下生たちへと。
2008年10月、任天堂の経営方針説明会の質疑応答で、岩田はこんなエピソードを披露した。
「今日ここに並んでいる6人は山内薄という人の教え子です。山内薄という人は、何にこだわっていたか。『娯楽はよそと同じが一番アカン』ということで、とにかく何を作って持っていっても、『それはよそとどう違うんだ』と聞かれるわけです。『いや、違わないけど、ちょっといいんです』というのは1番ダメな答えで、それではものすごく怒られる。それがいかに娯楽にとって愚かなことかということを、徹底していたんですね。で、そういう意味では、『よそと違うことをしなさい』ということは、我々のDNAの中に深く刻まれています」