3d babylon hanging gardens palace 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Ks1UW0y0L9A
The Hanging Gardens of Babylon
バグダッド電池 ウィキペディア(Wikipedia)より
バグダッド電池とは、現在のイラク、バグダッドで製造されたとされる土器の壺である。
電池であるという意見と、そうではないとする意見が存在するが、もしこれが電池として使われたのであれば、電池が発明されたのは18世紀後半であるから、これはオーパーツ(時代錯誤遺物)と言うことができる。
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『世界の七不思議―現代に生きる幻想の起源』 ジョン・ローマー、エリザベス・ローマー/著、安原和見/訳 河出書房社 1997年発行
空中庭園 より
フィロン(ローマ帝国にアレクサンドリアで活躍したユダヤ人哲学者)が今日の状況を見たら、自分の予言があまり当たっているので驚くかもしれない。彼の”七不思議”は、地上に建っていたときもじゅうぶん印象的だったろうが、文学のなかでこそ不滅のイメージとして生き残ってきたのだ。奇跡のような、とても乗り越えることのできない七つの事物。現実には「同じように訪ねる価値のある」名所はほかにもあっただろう・しかし、これら”七不思議”の真の力、すなわち古代の言葉の力は、フィロンが創出した空中庭園のイメージにおいて最大限に発揮されている。はるかに遠いバビロンの空中庭園は、2千年以上も経たいまも、西洋の夢想のなかに浮かびつづけているのだ。
その栄華のころ、空中庭園の都バビロンは、地中海世界においていまと変わらぬ伝統的な名声を轟かせていた。たとえばフィロンは、この都の城壁――かつて例のない巨大な――を空中庭園に匹敵すると見なして、その七つのリストに独立の項目として挙げているほどだ。実際”七不思議”の古代のリストでは、この都全体を”不思議”のひとつに数えているものが多い。空中庭園、巨大な城壁とオベリスクと神殿、それらすべてが、はるかに遠い魔法の土地の属性と考えられたのである。しかしその都も、見る人が違えば違った意味合いを帯びてくる。たとえば、メソポタミア――この都が建っていた、ふたつの大河の流れる地――の人々にとっては、この都は聖地だった。いっぽう、古代エルサレムの人々にすれば、ここは聖書に言う捕囚の都であり、彼らはバビロンの川辺で涙を流したのである。
いつとは知れぬ昔から、ここには数かぎりない都市が建設されてきた。その泥の廃墟の上に建つこの都は、怪獣めいたネブカドネザル王の都とされてしまった。なかばは人、なかばは雄牛のこの王は、都の門に見える陶製の怪獣に似ているとされ、黙示録の著者たちからも恐れられていた、ローマからラスヴェガスまで。さまざまな都市がその最盛期にはバビロンと呼ばれてきた。バビロン、緋の衣をまとう淫婦、すべてを消費し尽くす巨大で非情な究極の都市、東方の奈落、快楽と賛美と退廃と娼婦と神々が満ち、人の心が望み得るもの、人の頭が思い描き得るものすべて見出せる場所。このバビロンは、眠れる魂がキリスト教に目覚めようとする、その廻間のまどろみにそびえている。地の果てに建つ都、百の神々と古代の英雄王たちの都、最後にアレクサンドロス大王そのひとが永遠の眠りについた場所。歴史ある王宮で死の床に横たわりながら、アレクサンドロスもかの”空中庭園”を見ていたであろう――世を去って久しい女王のために築かれた、もろもろの搭に囲まれて浮かぶ庭園を。